(出典 bushoojapan.com)

四国の雄・長曽我部元親の四男

司馬遼太郎 著の「戦雲の夢」では、
人間味にあふれる武芸達者な好男子にして
時の運に恵まれなかった人物として描かれていたけど…

実態は不明であるが、
司馬氏になぜか愛されたヒトであることだけは確かw

長宗我部 盛親(ちょうそかべ もりちか)は、安土桃山時代から江戸時代前期の土佐国の大名・武将。長宗我部氏第22代当主。長宗我部元親の四男。戦国大名としての長宗我部氏の最後の当主。 父・元親の死後に長宗我部家の家督を継ぐ。関ヶ原の戦いで西軍に属すが、敗色濃厚と見て戦わず帰国し、徳川氏に謝意を表した。
20キロバイト (2,684 語) - 2018年8月20日 (月) 11:57


1 日本@名無史さん :2006/03/11(土) 19:59:35

大坂の陣で豊臣方として奮戦するも、敗北し捕らえられ引き回しのうえ斬首。
息子5人全員も皆殺しにされた悲劇の武将・長曽我部盛親について語ろう。

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3 日本@名無史さん :2006/03/11(土) 20:02:16

自分の無能さで改易されたクズ


5 日本@名無史さん :2006/03/11(土) 22:02:16

せめて親父にしておかないと
延びないと思う。


6 日本@名無史さん :2006/03/16(木) 23:38:47

名字なげえ。


7 日本@名無史さん :2006/03/16(木) 23:56:49

藤堂高虎に圧勝したのは、さすがだ。


8 日本@名無史さん :2006/03/17(金) 00:06:34

どう見ても腑抜け。

中国の覇者・毛利も九州の覇者・島津も
関が原で西方についたというのは一緒なんだが、
こいつだけむざむざ改易されてやがる。


10 日本@名無史さん :2006/03/17(金) 01:10:37

>>8
長曽我部が改易になったのは関ヶ原ではなく
津野孫次郎を殺害した理由によるものだよ


9 日本@名無史さん :2006/03/17(金) 00:14:07

毛利も改易されたろ。
120万石から30万石に大減封。


11 日本@名無史さん :2006/03/17(金) 20:30:18

筋肉盛親


12 日本@名無史さん :2006/03/18(土) 00:03:44

「戦雲の夢」 司馬 遼太郎 著

これを読みなさい。


13 日本@名無史さん :2006/03/18(土) 20:50:04

烏帽子親がどうして増田になったのだろう?
信親は信長だったし、それなりの大名は秀吉や家康がなっているに、奉行
では明らかに格下だと思うのでつが


19 日本@名無史さん :2006/04/28(金) 13:17:48

>>13
長男じゃないから。

おまけに、「長宗我部はひとつ格下」的なところがあった。
つまり、名目上一条家の陪臣扱い。官位も抑え気味。
鍋島とかと一緒。


14 日本@名無史さん :2006/03/18(土) 22:16:54

秀吉が死後のことを考えたからじゃない?

蛇足。
信親の烏帽子親をやった頃の信長って、
増田より格下だと思うが・・・


18 日本@名無史さん :2006/04/28(金) 12:29:33

ちょうそかべはじつは超名門でつ。


21 日本@名無史さん :2006/05/11(木) 01:41:57

近親相姦しか思いうかばん


22 日本@名無史さん :2006/05/11(木) 01:56:36

>>21
何それ?


23 日本@名無史さん :2006/05/11(木) 09:06:30

盛親の妻が兄である信親の娘、ってことだとおもう。
>>21じゃないが・・・


24 日本@名無史さん :2006/05/11(木) 14:03:05

叔父と姪が結婚した訳ね


25 日本@名無史さん :2006/05/13(土) 00:08:33

盛親って有能だったの?


37 日本@名無史さん :2006/08/05(土) 21:16:22

>>25
遅咲きの上、親父殿の猫可愛がりで自立遅し、政治的手腕無し!


27 日本@名無史さん :2006/05/13(土) 11:47:47

叔父と姪なんて当時はいくらでもあるわな。
まあ今だったら問題だが。


28 日本@名無史さん :2006/06/16(金) 21:05:02

ちょうそかべって苗字が珍しいな。
日本人というより鮮卑とか匈奴、西夏、女真人みたいな名前。
由来はなんだろう


29 日本@名無史さん :2006/06/17(土) 00:50:01

元は曽我部を名乗っていて土佐に来たとき既に別の曽我部氏がいたので
それぞれ領地の名をとって長曽我部と香曽我部と改めたらしい。
それ以前のことはよく分からないが蘇我氏の流れを受けるとか、始皇帝の流れをくむとも言われている。


32 日本@名無史さん :2006/06/29(木) 20:33:04

長岡郡の曽我部が長曽我部、香我美群の曽我部が香曽我部
四国には曽我部姓は多い


33 日本@名無史さん :2006/07/08(土) 22:10:16

学研の歴史群像に長曾我部の事が書いてあるぜ
買え!


34 日本@名無史さん :2006/07/08(土) 22:27:41

「曽」でなくて「宗」じゃなかったか?


35 日本@名無史さん :2006/07/08(土) 23:11:49

寺子屋ヽ(`Д´)ノ


36 日本@名無史さん :2006/07/20(木) 01:08:57

盛親の墓とか大坂の陣での陣跡なりなにか残されたりするものある?


38 日本@名無史さん :2006/08/05(土) 21:25:25

寺子屋で子供に習字を教えていたのって
この人だったっけ。
変な野心を起こさなければ市井の人として一生を終えたんだろうなあ。


39 日本@名無史さん :2006/08/05(土) 22:51:43

盛親の息子の名は伝わってないのか


43 日本@名無史さん :2006/10/20(金) 09:32:18

本当の読みはちょうすがめ。

墓は京都にある。

先斗町に斬首された場所がある。


45 日本@名無史さん :2006/11/16(木) 01:47:13

本当は関が原では東軍に味方するつもりだったらしいが
家康への使者が三成方の兵に見つかり土佐弁でばれてしまって
役目を果たせずしかたなく西軍について何もしないで
負けてしまった。


48 日本@名無史さん :2006/12/12(火) 09:15:32

もし信親が生きていたら歴史も変わっていただろう


49 日本@名無史さん :2006/12/19(火) 02:26:47

さては夏草読者か




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