(出典 i.ytimg.com)

個人的に思うのは…
黒田官兵衛でどうにもならんかったもんが、
竹中半兵衛がおったからと言ってどうにもならんやろ…

なまじ知恵が勝ってるばかりに、
徳川家康に容易に弄ばれるタイプだと思いますw

いや、それ以前に秀吉生前のうちに半兵衛VS.官兵衛の抗争が勃発した可能性も高いなぁ。


1 人間七七四年 :2014/10/31(金) 00:27:26.92 ID:kMIdUHik.net

もし竹中半兵衛が秀吉死後まで生きていたら
歴史は大きく変わっただろうか?

とりあえず
・秀吉の暴走
・石田三成と黒田官兵衛の対立
は防げただろうか?
そして三成もおそらく半兵衛にはライバル意識を持たずにあくまで目上の人として尊重し続けただろうか?

もし竹中半兵衛が秀吉死後まで生きていたら
歴史はどのように変わったのか?
いろいろ推測して議論しよう

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144 人間七七四年 :2014/11/15(土) 06:58:06.48 ID:O1SSe7+9.net

>>1
石田三成と黒田孝高の対立というよりも文治派と武断派の対立と言った方が正しくないか?

防げないだろうな

良くて前田利家みたいに両派の調停役くらいしか出来ないし、ぶっちゃけ竹中重治も武断派寄りだろ


2 人間七七四年 :2014/10/31(金) 00:31:55.15 ID:veQS/92K.net

秀吉が天下獲った時点で出家して隠居してそう


4 人間七七四年 :2014/10/31(金) 11:24:03.88 ID:iVhuf7yB.net

半兵衛も確実に三成と対立しただろ。
三成は敵を作る能力は天才的なものがある。


5 既にその名前は使われています@\(^o^)/ :2014/11/01(土) 23:30:07.49 ID:V0HBPw05.net

そもそも半兵衛の秀吉軍の軍師みたいな活躍は江戸時代の講談の創作だから。
死後まで生きていても大して影響は無いんじゃない?
軍師みたいな活動をした記録は一切無い。実情は外交官と思われる。秀吉と半兵衛の
美談で半兵衛が望んで信長配下ではなく自身が陪臣となっても秀吉に惚れ配下になった
なんて言われてるけどこれも創作で秀吉の正式の家臣であったという事も疑わしい。
自然に考えれば信長より普通に与力として付けられた外交官といったところか。
有名な稲葉山城攻略は、舅安藤守就のクーデター計画の実行犯として実行したに過ぎず、
義龍に城を返還したのはクーデター成功したものの、他の斉藤家臣が思いのほかクーデター側に
靡かず進退に窮した守就の判断で明け渡しただけに過ぎないという見方が強い。
講談にて軍師像を付けられたに過ぎない半兵衛が生き残ってても多分大勢に影響は無い。


8 人間七七四年 :2014/11/02(日) 08:23:43.40 ID:/I7ulOHx.net

>>5
確かに活躍にしては半兵衛死後の竹中家の処遇は良くないよな。
岐阜の一小領主に過ぎないし。


60 人間七七四年 :2014/11/07(金) 21:45:54.48 ID:VzZF2vT4.net

>>5
詳しい上に説得力ありますな

自分も半兵衛が長生きしても歴史の大枠は変わってないと考える


145 人間七七四年 :2014/11/15(土) 07:00:45.27 ID:O1SSe7+9.net

>>5
確かに竹中重治の資料はあんまり無いしな

重用されてたらもっと秀吉関連の資料に名前が残ってたはず


6 人間七七四年 :2014/11/02(日) 07:26:00.29 ID:/wZiUh5A.net

実際は半兵衛って秀吉に信長がつけた与力だしなあ
ポジション的には蜂須賀小六や前野長康あたりじゃね。
黒官だって地方に領地もらって中央の政局からは遠ざかったから
九州か四国に領地もらって一大名で終わりそう。


7 人間七七四年 :2014/11/02(日) 08:22:47.33 ID:y/Y/CvlR.net

俺の地元の関ヶ原で大きな戦やるなよと思っていそう。


9 人間七七四年 :2014/11/02(日) 08:43:01.76 ID:/wZiUh5A.net

当時は恩賞は一代限りのものみたいな感じもあったからねえ
親兄弟の領地をそのまま引き継げるとは限らなかったし


10 人間七七四年 :2014/11/03(月) 10:31:53.25 ID:LsKD1fLF.net

まぁ日本の戦国時代の戦は敵を殺すというよりはいかに相手の士気をくじき戦う気を
挫けさせ撤退させるかが主だからな。中国三国志時代みたいな戦とちょっと違う。
国民性なのかいざドンパチする時に使う戦術より戦う前準備の戦術のほうが重要で
ほぼ戦術段階で多くの戦の勝敗は決していた事の多い日本の戦は、いわゆる軍師気質の人材はできにくい
環境だったんじゃないかな。講談の物語としてはそれではツマランので半兵衛を軍師に仕立て上げたんだろうね。


11 人間七七四年 :2014/11/03(月) 23:02:22.84 ID:SRsoiq+G.net

>>10
だいたい、戦国の三傑見ても劉邦タイプの将に将するタイプじゃなく、
兵に将する韓信タイプだから戦術面で軍師はいらないんでしょ


14 人間七七四年 :2014/11/05(水) 09:15:49.37 ID:qhobugJZ.net

>>11
秀吉なんてまさに劉邦そのものじゃん
戦が雑魚で運と外交が強い
劉邦よりも司馬鄭とか劉禅のが近いが


15 人間七七四年 :2014/11/05(水) 10:45:17.26 ID:9myFZbfN.net

>>14
秀吉は墨俣だのシンガリだの調略だので大活躍じゃん。


16 人間七七四年 :2014/11/05(水) 12:07:31.50 ID:XM5KjodR.net

>>15
思いっきり講談じゃん
竹中の活躍を講談と切り捨てる割にそういう講談は大好きなんだな


12 人間七七四年 :2014/11/04(火) 22:56:07.81 ID:wglE7MBa.net

もし生きていたら~をやるなら散々言われてるけど秀長だろうな


25 人間七七四年 :2014/11/06(木) 01:53:57.97 ID:Zx+jJAOH.net

半兵衛→ホウ統(高い軍略はあったが早死に)
官兵衛→法正(主君の無茶な戦は止められなかった)
三成→諸葛亮(亡き主君の意思を継ぎ大戦を起こすも敗退)


30 人間七七四年 :2014/11/06(木) 10:13:52.76 ID:K7BqS4gY.net

どちらかといえば蜂須賀と秀長が長生きしてくれた方が嬉しい


33 人間七七四年 :2014/11/06(木) 10:38:45.43 ID:BlmThkNy.net

>>30
悪魔の証明求められても困る
講談にしかないんだから、ないと言われるのは当たり前


68 人間七七四年 :2014/11/09(日) 06:38:38.59 ID:UY4rZnya.net

秀吉自身が「百姓から天下取ったったw俺は頼朝より偉いw」と自慢してんだから出自は百姓でいいだろ


72 人間七七四年 :2014/11/09(日) 17:12:37.42 ID:oXEd7Mm1.net

>>68
それは軍記物の話だね。
一次資料だと秀吉は毛利輝元に宛てて子供のころから自分程地位の高い者はいなかったと書いていて、子供のころから重用されてたのがわかる


126 人間七七四年 :2014/11/13(木) 13:40:57.00 ID:H8ucWkvz.net

竹中半兵衛が長生きしても大して変わらない
そもそも軍師としても疑わしい。中国攻めの役割とか、後詰めで信長から派遣された秀吉の監視役。

そもそも竹中のポジションは、美濃を仕切るトップなわけで
信長の美濃攻略後、織田家家臣団じゃ能力関係なく中核に位置する役割だったと。
織田の権力基盤として尾張より美濃と移り、その美濃の最高責任者としての竹中は最重要人物だったわけね。
光秀が優れていたのはこの美濃と将軍家にも繋がっていたから出世していく。
で、勢力を拡大していくと美濃の役割は落ちて近畿中心になる。こうなると竹中の立場も弱くなって
その地位はおかざりになる。
さて、こういう立場の竹中半兵衛は本当に優れた軍師だったのか?
ただの美濃という大国を仕切る名門名士のボンボンという立場だっただけじゃないのか?
政治に利用された、神輿か担がれ大将的な


148 人間七七四年 :2014/12/31(水) 09:31:46.63 ID:eFutvzUl.net

>>126
地位や立ち位置としてはほぼ同意だが
さすがにボンボンの脳なしだったとは思わない
稲葉山城のっとりも経緯はともかく実行→成功させたし
外交官としての才は優れていた


127 人間七七四年 :2014/11/13(木) 13:48:52.75 ID:gBeX8vGG.net

竹中は秀吉の直臣だろう。
太閤記などにもそう書いてるし豊鑑にもそう書いてる
信長が秀吉につけた陪臣、監視役などという事は全く書いていない


130 人間七七四年 :2014/11/13(木) 17:00:38.17 ID:mcapc2Ms.net

>>127
秀吉直臣ってのは後世の創作なんじゃないの?
城持ちの身代だと信長の直臣で秀吉の与力ってと考えるのが自然なんじゃない?


143 人間七七四年 :2014/11/15(土) 06:49:15.49 ID:IVwVYGTf.net

半兵衛より豊臣秀長の死の方が大きいだろ


147 人間七七四年 :2014/11/15(土) 16:40:15.13 ID:hrCLWPgp.net

謀臣系は、黒田如水が功績に見合わないわずかな所領を与えられ、
神子田正治・尾藤知宣は悲惨な死、
蜂須賀正勝が阿波一国と家政に家督を譲って、秀吉のもとに残ったのも
讒言や秀吉の猜疑心を警戒してのことだろう
竹中半兵衛が長生きしても、蜂須賀正勝のような処世を選ばざるを得ず、
秀吉の死後に何かできたとは思えない


150 人間七七四年 :2015/09/22(火) 18:23:23.81 ID:gd6X2Mey.net

武断派の功臣を潰して粛清することは誰でもやっている。
文治派に権力握らせて安定させるのもそうだ。
徳川もそうだし、古今東西長期政権は全てそうだ。
長生きせんで中途半端にして、毛利と徳川とりつぶしもせず、
文治派恨ませるだけ恨ませて、放り出した秀吉全て悪い。

最低でも徳川と毛利、賤ヶ岳七本槍は粛清してから冥土に行くのが、
最低の天下人の勤めで、それをやらない秀吉は論外。




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