後宮があったとしても、似て非なるものか…
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側室がいたよ
基本的に明治時代くらいまでは日本の富裕層は一夫多妻制
>>2
異論がある。妻は一人、他は愛人。イスラムのような一夫多妻制ではないと思う。
>>7
最低じゃん
一夫多妻を少子化対策で復活させればいいのにね
>>3
そんな人間の間での格差は許されない
今は正室の子しか天皇になれないよ
源氏物語・桐壷の冒頭
「いずれのおほん時にか女御 更衣あまたさぶらいける中」
ちなみに大正天皇は柳原氏という側室の生んだ子
側室は知ってるけど大奥みたいな大規模な制度みたいなのはなかったの?
>>6
あまたさぶらいける
と言うんだから沢山いたんだろ
多妻の国も第一夫人第二夫人と序列があって第一がいわゆる本妻という事じゃないの?
知らんけど
>>8
順位ではないんだよ。
妻は法的関係が存在する。互いに権利と義務が存在する。
(別に、今の社会のように男女平等ではないけどね)
それに対して、愛人には何の権利も義務も存在しない。飽きたら捨てればいい。
モスリムの一夫多妻は妻に差をつけてはいけないとなっている
各妻毎に役割があってたいてい年長の第一夫人が家政を司る事になる
つまり家のボスになるのは第一夫人ってこと
あと確か第一夫人はそれ以降の妻を拒否する事ができて
旦那がそれに納得出来なければ離婚される事もある
>>10
妻に差ついてるやん
>>13
妻同士には格差があるけど夫は平等に愛する必要があるって感じだったかな
子供の扱いや資産の配分で差を付けてはいけないはず
いつの時代かまでのお公家って通い婚じゃね?
女を集めるんじゃなく見初めたら夜襲かけちゃうだけ
大正天皇も昭和天皇も正妻の子じゃないだろ
戦後側室制度を止めて一夫一妻制にすると言い出したのは昭和天皇自身だ
>>12
大正天皇は側室(女官)の生んだ子だけど
昭和天皇と今の上皇と天皇は正室の子
システムを新しくすればいいって言う程
物事は単純ではない 長く続いてきた慣習には
長く続いてきただけのそれなりの合理的な理由がある
将軍と喋らない様に何人も監視が付いた性行為はただの事務仕事
快楽の性行為はまた別の人らが相手してたのかな
お忍びで吉原行って梅毒貰った将軍がいた
と記された史料はあるけど信憑性はと言うと疑問もある
戦国時代とか葬式出来なくて天皇の死体腐らせてたくらい金無かったからなぁ
ムスリムの友人がいて
「あんたら4人まで奥さん貰えるんやろ?」
と言ったら「大富豪ならね 俺ら庶民は一人がやっとだよ」
とのこと
一夫多妻制を公に認めなくても
昔風に言うと妾 今だと愛人 情婦囲って
非嫡出児生ませてる人なんて幾らでもいる
小学校の同級生にお妾さんの子が何人かいたよ
ちなみにお妾さんは法的に売春にはならない
基本通い婚だから
みんな別々に住んでる
側室の身分は女官だから
当然宮中に住んでた
側室なんて不浄な制度は元から嫌う
神の末裔だもの
故に近親者同士で結婚させてたから血が濃くなりすぎて危険だと言う判断で
昭和天皇の妃から外部の民間人を入れるようになった
明治後期まで重婚禁止する民法なかったけど
施行する時に正妻以外は離婚して愛人になったのかな
>>31
明治13年の旧刑法でも重婚は犯罪だったから正妻以外は最初から妻ではないんだろう
>>31
正妻以外は昔も今も妾
>>31
よく分からん。昔(江戸時代)も重婚は認められておらんだろう。
無知で申し訳ないが、結婚式は昔からあっただろう。でも、妾、側室、愛人との結婚式はないだろう。
>>36
江戸時代に近代民法はなかったから
現代と比較しても仕方がない
天皇家は数百年にわたって貧乏だから仕方ない
後宮はあったろう
中宮だ更衣だ尚侍だってな
沢山いたのさ
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コメント
コメント一覧 (2)
パブリックスペースだった朝堂院が焼けて再建できなかったから内裏で政務も取らざるを得なかっただけ
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