独ソ戦の転換点だとする意見も有力だよね。
クルスクの戦い(クルスクのたたかい、ドイツ語: Schlacht bei Kursk(シュラハト・バイ・クルスク)、ロシア語: Курская битва(クールスカヤ・ビートヴァ))は、第二次世界大戦中の1943年、東部戦線(独ソ戦)ソビエト連邦(以下ソ連)の都市であるクルスク 39キロバイト (5,891 語) - 2021年3月19日 (金) 02:54 |
もし米英がノルマンディー上陸してなかったら
ポーランド辺りでドイツ軍が反撃してソ連を押し返して朝鮮戦争みたいに一進一退になったと思うんだが
ソ連軍は残虐でポーランドでやりたい放題してたみたいだし
とてもソ連軍は統率とれてたとは言えないし
長期戦になればベルリンまで兵站を確保できたと思えない
終戦後あんだけソ連は民間人も含めて死傷者出たのにドイツとベルリンの統治が4:6もしくは3:7で米英仏に譲歩せざるを得ないのも
西側の米英の進軍がなければドイツ軍はかなり抵抗してたし
史実はドイツ軍は敗走につぐ敗走だったからな
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やはり日本はアメリカではなくソ連と戦うべきだった
ルーズベルトが世界二分の計を図ってて
スターリンはうまく乗っかってくれた
スターリングラードの戦いはソ連も極東軍をつぎ込んだから勝利できたとあるから
その時期に参戦したらソ連軍は内部崩壊しただろうな
ノモンハン事件も実質日本の勝利だったしな
アメリカと戦わなければ
決定的なんて言ってる人いるか?
分岐点とか流れが変わったとか言われ方はするが
>>6
まあこれが単独の戦争ならドイツは押し返す可能性あったけど
西側とも戦争してたから
結果ノルマンディーに上陸許したのも
対ソ連戦に主力が集中してたのもあるし
許してパリ奪還されたことでポーランド辺りで押し返す力を無くしたと言うべきか
それにソ連はスターリンと言う独裁政権の末期で
ドイツ軍がホロコーストをスラブ民族にして無ければ一致団結しなかったし
スターリンも実質側近と呼べる戦力も信頼性も無かったからな
スターリングラードは都市防衛戦だから勝てたし
極寒にドイツ軍が耐えられなかったのもあるが
ソ連軍も尋常じゃない損害も被ってたと
アメリカが冬にソ連が反撃すると読んでノルマンディー上陸したとすればそれは凄い判断だなと
まあドイツ軍のホロコーストも酷かったけど
史実でもソ連軍はワルシャワ蜂起をドイツ軍に鎮圧するまで見殺しにするくらいだから
米英の進軍が無ければソ連単独でベルリン到達できたと思えない
まあ日本も進軍するのではなく地方都市を奪取して少しづつ軍事圧力を加えるだけでも大分変わったなと
アメリカと戦争しなければ
>>12
ウラジオストクを抑えるだけなら出来たかもな
モスクワ一直線で占領していれば戦況は変わったとかいうばかいるが日中戦争で南京占領した日本がどうだったのか見れば結果はわかる
ねーよ
44年春のバグラチオン作戦で「ドイツ最強」の中央軍集団が壊滅させられて、もう大勢は決していた。
圧倒的な勝利をおさめられたはずのルーズベルトがなぜか天下二分の計を図った
そして成功した
西側に米英がいたのは大きかった
中途半端にイギリスを残したことが駄目だった
決定的だったのはモスクワが落とされなかった事だと思うは
反撃のターンになったらもうその後は流れ変えがたいでしょ
結局スターリンの首を取らないとダメなんだよな
>>19
それは簡単なんだよな
国内はガタガタだったから
ロシアかなんかのユーチューバーが昔の塹壕を掘りかえしてるけど
大量のドイツ兵が今も埋まってるんだろうなあ
日ソや独ソの協定はあったんだから
日独ソで組めば良かったんだよ伊はまあ居ても良い
ここで組めばイギリスと中国を分断して叩けるはず
ドイツ技術で石油掘ってソ連経由で流通
アメリカは無視
>>23
我が闘争にヒトラーはスターリングラード東側の穀倉地帯とカスピ海の油田を手に入れれば
第三帝国の強さは揺るぎ無いものになるとあって最初からソ連に野心を燃やしてた
>>23
ヒトラーはボリシェビキの絶滅も目標だった
>>23
日独伊三国軍事同盟に
ソ連を加えて米英に対抗するというのは
当時の日本が考えてたことだけど
肝心のドイツもソ連もその気がなかった
東→西→東っていう無駄さ
>>25
イギリスに止めをさすか
戦わないかだよな
>>26
ダンケルクから25万どうぞどうぞお帰りくださいした時点で…馬鹿かよ
イギリス攻め落としてからソ連攻撃した方がな
東部戦線のスケールをみていたらノルマンディー上陸とか裏口入学みたいなもんだとわかる
>>29
ダンケルクはドイツ軍の全力
ノルマンディーはドイツ軍が手薄だったからな
それくらいスターリングラードの戦いが総力戦だった
共産主義者の戦争の仕方の特徴の1つ、自軍の人的損失を全く気にしないで次から次へと兵員投入をする事
>>31
もっとあとに攻めこめば
スターリン政権は弱体化してただろうから
イギリス攻略後でも良かったのにな
スターリングラードも何事も無かったように勝ってるが
本当はかなりヤバかった
ドイツ負けたら民族そのものが滅ぼされるととかだからな
ロシアの平原にある塹壕跡から
今もドイツ軍の装備や遺体がいっぱい出て来るようだな
>>36
そりゃ社会主義だもの
片付ける必要ないもんな
ドイツ戦線戦った兵士が次は満洲に投入された
ソ連の人使いの荒さは異常
日本が太平洋戦争に参加せずドイツとロシアを挟撃してたら
今頃常任理事国は 米日独英仏 となっていた
もちろん日本は軍国主義の帝国で大東亜共栄圏を作ってただろうな
ドイツはロシア領土+欧州すべての盟主
フランスはドイツの傀儡政権
イギリスは連邦国家の盟主
アメリカは一番下っ端
>>39
ロシア軍クソ強いからろくに進撃できん
補給もままならんし中国軍とはわけが違う
日本はアメリカとの戦争だけを避ければ良かった
とくにどっかに勝たなくても
むしろアメリカが一番戦争をしたがってただろ
アメリカが仕掛け人と言っていい
前年のモスクワ攻略失敗でケチが付き始めている。スターリングラード戦翌年の
クルクス戦の敗北で東部戦線の勝ちはなくなった。また東西二正面戦争は第一次
大戦で失敗したのに英国を屈服させる前に独ソ戦を強行して墓穴を掘った。
ノルマンディー上陸はそれを決定的にしただけ。
>>45
ノルマンディーに米英上陸して
フランス解放したから
ドイツも西部に戦力割いたから
結果東部のドイツ軍は総崩れしたようなとこあるから
結果的に殲滅されたけど
ワルシャワ蜂起もドイツ軍には衝撃だったろうし
これが独ソ単独なら
スターリンに統率力ないし
モスクワやスターリングラードからベルリンまで進軍できると思わない
戦争において実は射殺爆殺などの戦死より病死餓死の方が多かったりするから
遠征となればそれだけ兵站や補給ルートの確保が大事だからな
>>38
スターリングラードの総力戦で正規の軍人が死んで生き残ったのは荒くれ者で
ベルリンまで進軍するあいだの蛮行も酷かったみたいだからな
ゆえに戦後の反ソ連反ロシアの日本の感情が強いのはそのせい
正直対ホロコーストでなんとかソ連は勝てたけど
反共産勢力を使った内部分裂を踏まえた攻撃だったらどうなってたかわからなかった
日本も対ソ連と戦争するならそれをやってただろうし
あの杉原千畝も実はそのエキスパートだったからな
日本も上陸した米軍と都市殲滅戦やってたらどうなってたかな?
>>48
おとろしいこと考えよるな…
>>48
核攻撃で入念に潰した上で上陸するんじゃね?
山には片っ端から焼夷弾を
あいつら黄色人種なんぞどうでもいいからな
都市部は原爆でもジャンジャン使って完全に焦土化してから
悠々と上陸してくるだろうな
>>50
>>51
ベトナムでも朝鮮でもそんなことは起こらなかったね
朝鮮の時は核保有国はアメリカだけで報復される可能性もなかったけど
イギリスも危険度の高い場所はインド兵で賄うんだろうな
でも敗戦した時本土決戦に備えて陸軍主力は健在だったからな
九州は血で血を洗う地獄絵図になってたかもしれん
そら日本側はそうでしょ
でもあちらは黄色い野蛮な猿がわんさかいる所に
上がってくるリスクを取る必要はないわ
沖縄を抑えてあるんだからそこから本土を空爆して
例えば東京から大阪まで海岸線を全部焼け野原にしてしまってもよかったと思う
そうなれば山間部のゲリラ掃討作戦を
猿狩りするくらいの感覚で時々やってればいいんだし
無駄な地上戦してるすきにソ連が侵攻してきて
列島の一部でも抑えられたら溜まったもんじゃないからな
不正規戦を仕掛けるなら無条件降伏して米軍が進駐してきた後
北海道、東北を制圧したソ連軍と西日本から神奈川まで制圧した米軍が帝都東京を包囲
講和条約を示した日本政府を無条件降伏に拘る赤軍、米軍は拒否
空前絶後の東京市街戦が開始される
あり得ん
独ソ戦の犠牲者(戦死、戦病死)は、ソ連兵が1470万人、ドイツ兵が390万人である。民間人の死者をいれるとソ連は2000~3000万人が死亡し、ドイツは約600~1000万人である。
ソ連の軍人・民間人の死傷者の総計は第二次世界大戦における全ての交戦国の中で最も多いばかりか、人類史上全ての戦争・紛争の中で最大の死者数を計上した。
両国の捕虜・民間人に対する扱いも苛酷を極め、占領地の住民や捕虜は強制労働に従事させられるなど極めて厳しい扱いを受けた。
ドイツが戦争初期に捕らえたソ連兵の捕虜500万人はほとんど死亡している(第二次世界大戦におけるドイツによる外国人強制労働)。
またドイツ兵捕虜300万人の多くはそのままソ連によって強制労働に従事させられ、およそ100万人が死亡した(ソビエト連邦におけるドイツ人強制労働)。
ソ連よくギブアップしなかったな
4月初頭のベルリンでは赤軍がいつ攻め込んでくるかわからない状況で、市内は熱病にとりつかれたような恐怖と絶望に包まれていた。
ナチス党員は降伏すれば即決裁判で処刑されるのは確実であったため、狂信的な決意をもって1人でも多くの赤軍将兵を道連れにすることを考えていた。
ヒトラーは助かる道は完全に閉ざされていたため、ドイツの人種、文化、建造物まで全てを道連れにする覚悟を決めていた。
赤軍の砲撃が市内に直接届く段階になると、市民の多くはベルリン市内のティーアガルテン、フンボルトハイン市民公園、フリードリヒスハイン市民公園の3箇所に建てられた高射砲塔(通称「G塔」、詳細はベルリンの高射砲塔(ドイツ語版)を参照)をはじめ、
軍が構築したコンクリート製の大型防空壕や、地下鉄の駅構内、下水道、個人宅の庭に掘った防空壕、個人宅の地下室など、身を潜められる所にはどこでも避難したが、動くことすらままならず水道も断水され衛生状況は悪かった。
そのうち送電が断たれたためラジオ放送すら聴くことが不可能になった。情報を求める市民の間では、もうすぐアメリカ軍が救援のために味方してくれるなどの信憑性に乏しい噂が流れた。
戦争の終盤になってもナチスの宣伝省は相変わらず愛国のために徹底抗戦を訴えるプロパガンダを放送していたが、多くの市民にとっては既にどうでもよい事柄で、生き残ることだけを考えていた。
白旗を掲げる家では親衛隊に狙撃され、何もしなければソビエト兵に殺される状態であり、もはや助かる道はアメリカ軍に降伏する以外になかった。
戦いが長引くにつれ地下壕や病院は負傷兵で一杯になった。医薬品も麻酔薬も不足していたため、負傷兵は傷を負ったまま放置された。
そこら中に四肢が欠けて骨がむき出しになった兵士や、血まみれで包帯が巻かれた負傷兵や死体が横たわっていた。
既に戦闘不可能な負傷兵が集う場所も砲撃に晒されたため、ある野戦病院では看護婦がシーツと口紅で赤十字の旗を作って掲げたが、旗の意味を理解できないか、意図的に無視した等の理由により赤軍の砲撃が止む事はなかった。
生き残ったドイツ人は「ベルリンは地獄と化していた」と記している。
4月29日、親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーが西側連合国に対し降伏を申し出たことがBBCを通じて世界中に放送され、ヒトラーに最後の打撃を与えた。
終末が近づいたことを悟った彼は、個人的、政治的遺書の口述を行い、遺書の中ではデーニッツを大統領、ゲッベルスを首相にそれぞれ任命して政府の管理を委ねることになっていた。そして、ヒトラーはエヴァ・ブラウンと結婚した。
翌30日の15時20分、ヒトラーとエヴァは、総統地下壕の居間でピストル及び毒薬を使用して自殺した。遺骸は官邸の庭に運び出され、ガソリンを注がれ焼かれた後、砲弾穴へ葬られた。
ヒトラーの遺言で任命された新ドイツ政府の首相ゲッベルスは、ソ連と講和交渉を行うため、参謀総長ハンス・クレープス大将を軍使として派遣し、2時間にわたる停戦の申し入れを行ったが、赤軍はその申し入れを退け、ベルリンの無条件降伏を要求した。
ゲッベルスはこの要求を拒絶し、代わりにベルリン防衛軍による赤軍のベルリン包囲網を突破する作戦の敢行を許可した。しかし、既に包囲網突破は不可能な状態であり、5月1日から2日にかけ、ベルリン防衛軍は降伏した。
なおそれまで徹底抗戦を訴え続けていたゲッベルスは、赤軍との停戦交渉が失敗に終わると、デーニッツにヒトラー死去の知らせを送り、その後、妻と子供6人を道連れに自殺した。
ソビエト軍の報復は苛烈を極め、多くの女性がソビエト軍将兵により強姦され、数多くの市民が自殺した。
ゲルハルト・ライヒリング博士に拠ると、当時ベルリンの女性の平均人口は149万5500人と推計され、その6.7%に相当する10万人が赤軍兵士による性暴力の被害者となり、うち10%前後が性病にかかったとされている。
強姦された女性は心理的外傷を負い、10万人のうち1万人前後が死亡した。
これはベルリンに限ったことではなく、赤軍に占領されたドイツの町や村の多くで起こった。
ソ連の作家イリヤ・エレンブルクは1964年に出版した回想録に「ブロンドのドイツ娘をさらえ、それは諸君の戦利品だ!」と赤軍兵士を煽ったことで非難されたことを記している。
なおこのような赤軍兵士による「報復」は、その後政治将校がベルリンに到着し綱紀粛正が行われるとともに減少した。
政治将校の中には、治安を乱す赤軍兵士を即座に射殺することもあった。
また、ソ連は戦利品部隊を占領下ドイツに送り込み、ベルリンの博物館島や、ドイツ各地の博物館、美術館、個人収集品から250万点にも及ぶ絵画、彫刻等の美術品を戦利品として劫掠した。
ハインリヒ・シュリーマンが発見した「トロイアの黄金」も劫掠された一つである。この内、約100万点は今なおドイツに返還されていない。
ソ連と戦争って聞いたら日本政府は即降伏したよ
>>64
もう少し勉強しましょう
>>65
いやルーズベルトが核兵器を使わずに
ソ連が参戦するから無条件降伏しろと言ってきたら即降伏受け入れたよ
日本の反共産主義感情はかなり強いから
さすがに陸軍も折れる
戦争で勝ってソ連の領土を削った国って日本のほかにあるの?
第二次大戦で一番クズなのはフランスだよな
ナチスの軍事台頭をなめてかかり、対独戦もまじめにやろうとしなかった
ドイツが来たら来たで媚びまくり、ユダヤ人虐殺にもちゃっかり手を貸す鬼畜っぷりを発揮
米英がこいつらを助けるためにどれだけ犠牲を出したと思ってんだ?
そのくせ戦後、自分は戦勝国だと調子こいて色んな取り分を持って行こうと画策した
>>68
第一次対戦の賠償金も1番鬼畜にドイツから貪ったようだしな
>>69
そもそもそれが第二次大戦の原因だしな
あんだけ酷いことしたのにフランス弱すぎよな
ナポレオン三世がドイツに負けて以降かなり弱小になったよな
幕末も幕府は負けたし
ドゴールが図々しかっただけでフランスはドイツと上手くやってたからな
ルーズベルト、アイゼンハワーはドゴールが嫌いだったからノルマンディー上陸作戦も黙っていた
チャーチルにそれはあんまりやおまへんかと言われたので、しぶしぶ2日前に知らせたらドゴールはわずかの兵をつれてやってきた
米英軍が必死に戦い、凄い勢いでパリを解放したら、ドゴールはちゃっかりパレードの先頭にいた。
フランスってなんで弱くなったの?
ルイ13世やナポレオンのときは強かったのに
三島由紀夫は『文化防衛論』の中で、ペタン政府がパリを無血開城したことについて、次のように評価している。
「(中略)中世以来の建築的精華に充ちたパリの破壊を免れるために、これを敵の手に渡したペタンの行為によくあらわれている。
パリは一フランスの文化であるのみではなく、人類全体の文化的遺産であるから、これを破壊から護ることについては敵味方は一致するが、政治的局面においては、一方が他方に降伏したのである。
そして国民精神を代償として、パリの保存を購ったのである。このことは明らかに国民精神に荒廃をもたらしたが、それは目に見えぬ破壊であり、目に見える破壊に比べたらはるかに恕しうるものだった!」。
フランスって解放後も酷かったみたいね
ナチスドイツに協力した人間への虐待とか
ユダヤ人へのフランス国内のホロコーストってそういや聞いたことない
ユダヤ人への差別ってナチスドイツからではないし
そもそもブラウ作戦自体意味あるものだったの?
42年中にモスクワ落としたほうがいいんじゃないの?
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言ってみたくなるんだよなあ
いや死者数とか観てると
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