(出典 bunshun.ismcdn.jp)

サイパンや硫黄島と比べるとね・・・

だが、批判されるのはもっと他の問題ではないかと。

第二次世界大戦 > 太平洋戦争 > 南方作戦 > ビルマの戦い > インパール作戦 インパール作戦インパールさくせん、日本側作戦名:ウ号作戦〈ウごうさくせん〉)とは、第二次世界大戦(大東亜戦争)のビルマ戦線において、1944年(昭和19年)3月に帝国陸軍により開始、7月初旬まで継続された、援蔣ル
102キロバイト (15,116 語) - 2021年4月4日 (日) 02:59


1 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/19(水) 23:46:34.00

史上最悪の作戦なんて言われるけど、太平洋の島の戦いなんて、ほとんど全滅のところ、ざらにあるぞ

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50 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/09/08(火) 11:25:57.01

>>1
そう言う事を言うから牟田口が付けあがるんやで


65 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/10/29(木) 10:17:40.07

>>1
南方戦線は逃げる船も僅か
撤退命令を出す指揮官も僅か
大体の命令が機関銃や戦車に手榴弾とバヨネットで突っ込め
なお、南方の米英戦車は軽戦車であり手榴弾踏ませれば運が良ければ動けなくできたらしい

インパールは撤退命令が出た

この差が大きい


2 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/20(木) 00:19:28.99

じゃー、お前も参加してみる?


4 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/20(木) 02:06:27.79

>>2
結構そこ
現場に行く気ないヤツがよく口が動く


51 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/09/15(火) 17:01:22.08

>>4
仕事と同じだな


3 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/20(木) 00:25:53.88

ナポレオンのロシア戦役の方が生存率遥かに低い


5 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/20(木) 06:42:03.04

インパール作戦は将校の生還率は高い
参謀で戦士したのはゼロ
兵士は88%が死んでるけど


6 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/20(木) 15:30:38.60

佐藤幸徳は過大評価のゴミ


9 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/21(金) 12:39:44.07

>>6
過大評価のゴミは宮崎繁三郎
佐藤幸徳や柳田元三は過小評価、名将


7 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/21(金) 00:53:11.45

こんなクソ作戦が承認される軍なんか腐ってるわ


8 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/21(金) 02:52:10.40

インパール作戦
動員数 10万人
死者 3万人

なお、ナポレオンのロシア戦役は、脱走兵除けば、全滅に近い

しかし、日本人に言わせれば、ナポレオンは偉大な軍人らしい


10 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/21(金) 12:40:29.71

>>8
インパール作戦の死者は72000
戦病死が40000以上あるぞ


35 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/29(土) 17:34:11.63

>>8
プロイセン軍だのオーストリア軍だの寝返るというか御免なさいしてロシア軍に駆け込んでいるのが結構おるよ。


64 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/10/25(日) 15:47:44.70

>>8
ナポレオン戦争は、フランス革命の余韻があって、
「農奴から解放される小作農」の士気は高かった。

他方でインパール作戦。
東條首相からの「インド解放」の掛け声あっても、
赤紙徴兵で引っ張って来られた日本の将兵達は、雨の降り頻る遥かなアウェーの戦地で、
インド独立の為に、どんだけやる気があったのかねえ。

そりゃ、東條首相をおだてるのが上手な、チャンドラ・ボース氏以下、
ホームのインド国民軍の皆様は、士気高かったと思うけど。


74 名無しさん@お腹いっぱい。 :2021/04/05(月) 18:33:56.41

>>64
インド国民軍はさっさとイギリスに降伏したがってたんだよなあ
威勢がよかったのは最初だけ


11 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/21(金) 23:27:09.97

草食って生きていけるならやれよ
無理ならやるな


12 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/23(日) 09:48:20.92

インパール作戦は一応後方連絡線は繋がっていたから
太平洋の戦いはほとんどが制海権を失って援軍も補給も撤退も不可能な完全に包囲されている状態からのスタートだからどう頑張ろうと玉砕するしかない

サイパンもフィリピンも沖縄も後退できないんだから全滅必至
インパールは連絡がついているある意味まともな戦いができたはずなのに兵站が最低の作戦してるから際立つんだろう


13 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 02:24:28.11

連絡線がつながっていたって…w
途中にはチンドウイン川があって、健康体じゃないと流されて死んでしまうし物資も輸送できんし
連絡は通信兵が持っていた無線だったし…。

インパールの無線兵の人が近所にいて、もっと話を聞いていれば良かったな。


14 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 12:34:06.32

ポートモレスビーもインパールも陸上補給がなってなさすぎる
特にインパールはポートモレスビー攻略で南海支隊が散々な目に遭った戦訓を大本営も南方総軍も丸無視で健忘症としか思えん

ガダルカナルなど太平洋の島嶼戦も悲惨だがあれらは一応補給する意思はあって護衛つたなく輸送船が沈められたという話でインパールは敵の妨害もないのに自然の前に補給が出来ませんとか兵要地誌以前の話だ
カンビュセスのエジプト遠征レベル


15 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 15:26:31.44

牟田口中将とインパール作戦に対する批判本は中身はみな、お決まりのほぼ同じ内容ですが、
定説化されたそれらは事実を歪曲しておりデタラメです。

1ヶ月程度でインパールを攻略するというこの作戦は、
さほど無謀な作戦ではなく、また作戦計画(補給を含めて)も十分に練られたものであり、
予定通りに普通に作戦を遂行していれば難なく成功していた作戦です。

このことは連合軍の司令官、参謀など当時の関係者の多くがそのような
見解の記録を残しており、日本での定説、評価とはまったく異なります。

作戦失敗の最大要因は、太平洋の対米戦線に全兵力を投入すべきだとする、海軍とそれを支持する
対米決戦派の勢力(反東条派)による妨害工作です。
これが原因で作戦開始が遅れ、兵力の減少、統帥の乱れ等によって、作戦は失敗しました。

連合軍側の見解では、師団を指揮した師団長(特に31師・佐藤、33師・柳田)らが
あまりにも消極的で進行を遅くさせ、そのために日本軍は勝てた作戦で負けに転じた
(わざと勝たせたとも)と評してます。
これは多数の連合軍関係者が同じ見解です。英国公刊戦史にも記載されてます。

その他にもインパール作戦では定説化された嘘が多数あります。

●補給を無視した、補給をしなかった、険しい道なき道を進行したという定説の嘘

補給が無かったのは参加した三個師団のうち、31佐藤師団だけです。
他の2個師団には補給されてます。
また33師団は連合軍の物資集積拠点をほぼ無血で確保し有り余る物資(武器、弾薬、車両、燃料、食料)
を得ており、もし補給なしでも物資を持て余しています。
(シンゲルで師団2か月分の物資を確保したとの記録があります)
15軍の作戦計画である期間の1ヶ月程度、長くても2ヶ月程度では補給はまったく問題ないです。
(作戦が延長され4ヶ月にも及んだのは、参謀本部、南方軍の判断で牟田口の判断ではありません)

補給が無かったのは31師・佐藤師団だけです。
しかしこの部隊は敵の背後へ回り込むという、日本軍がもっとも得意とした迂回、浸透戦術の部隊です。
こういった特殊な任務の部隊は、普通、作戦が終了するまで補給が無いのは当たり前です。
佐藤師団長も、そんなことは百も承知だったはずです。
実際に15軍の想定した1ヶ月は物資に何の問題もありませんし、
2ヶ月間は問題無かったわけですから、補給が尽きた責任は15軍・牟田口の責任ではありません。
作戦延長の判断は参謀本部によるものです。

(参謀本部の判断は中国からB29で日本本土を空爆するという連合軍のマッターホルン作戦を阻止すべく発令された
大陸打通作戦との兼ね合いから、ビルマに米支軍を引き付ける意味でインパール作戦がさらに重要となったため)
(またチャンドラボースも作戦中止に猛反対したため、日本軍のインパール作戦中止の判断が遅れました)

進行経路は険しい山岳地帯の道なき道を進行した、という話も嘘です。実際には道路が完備されています。
33師団、15師団の進行経路は全てトラックが通れる道路が整備されてますし、
もっとも険しいとされた佐藤31師団の進行経路でさえも、実は連合軍側によってジープ道が整備されており
それを利用し道なき道では無かったことが判明してます。
牟田口15軍はそれらを綿密に調査した上で作戦を立てています。

●参謀ら皆が無謀だと反対していたという嘘。

参謀らが反対したのは、以前の計画のウ号作戦です。
これはインド、アッサム州を攻略するという作戦であって、
それより遥か手前のインパールを攻略するインパール作戦とはぜんぜん別物です。
話がスリ変えられています。


16 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 15:26:52.27

●白骨街道の嘘

撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団(山内師団)だけです。
31師団(佐藤師団)と33師団は飢餓に苦しんでいません。
また餓死者が多数という話も嘘です。
飢餓に苦しんだ15師団でも、餓死という記録はまったくありません。
負傷兵が撤退をあきらめて自決したのがほとんどです。

撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団の特に60連隊(松村連隊)だけです。
しかしこの白骨街道の話の当事者である60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)は驚くべき内容です。
60連隊が悲惨な撤退を強いられた原因は、佐藤師団の抗命、無断撤退が原因であるとして、
佐藤師団を激しく非難した内容です。牟田口に対する批判は一つもありません。

60連隊が飢餓で苦しむ2ヶ月の撤退を強いられた要因は(白骨街道となった)
佐藤師団(烈師団)の無通告撤退、撤退時に集積所の食料を強奪したためだと明確に書かれ、
31師、烈師団を「劣師団」だと激しく非難しています。

インパール作戦の資料として日本で最も価値のある一次資料は
この60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)で間違いありません。
連合軍側の資料では、スリム中将の「敗北から勝利へ」です。

全てのインパール作戦本は、この二つの資料をソースとして書かれているはずです。
奇しくも両資料とも、佐藤師団に対する激しい批判が共通しています。そこに重点が置かれています。
牟田口15軍に対する批判はまったくありません。
しかしどの書籍にも、この肝心要の両資料の一番言いたかったことが作為的に削除、改ざんされてきました。
(スリム中将の佐藤批判を、牟田口批判であるかのように改ざんされてます)

他にも定説化されたインパール作戦批判は、事実の歪曲が多数あり突っ込みどころが満載です。
とても書ききれません。

なおこれらの貴重な情報は歯科医師、軍事研究家であった故・大田 嘉弘氏の功績です。
氏が始めてその全貌を書籍で明らかにしました。

戦後の日本の権力者は、陸軍の一部の人物を悪党に仕立てる手法で、海軍や政党、マスコミの戦争責任を
国家ぐるみでゴマカしてきました。それに迎合してきた文化人や学者、マスコミのほうこそが、
日本の悪しき体質を引き継いでいると言えるでしょう。


17 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 15:28:50.28

牟田口の指揮は正しく佐藤がアホで、あと一歩で日本軍は勝利していたと
イギリスでは牟田口の作戦指導は評価されている。

■アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

■スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

■マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、
まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。
さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」

■第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。


18 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 15:29:25.20

★インパール作戦が失敗したのは、佐藤がアホだったから

連合軍を利する無能の佐藤は、殺すなと
連合軍が特命www


全くの話し、ストップフォードのごときは、英空軍が佐藤の本部を発見し、それを爆撃しようとしたとき、
爆撃しないように特命した事について話してくれました。
それは佐藤がもし殺されたら困る(もっと利巧な者が佐藤の代わりになってくるからだ)
とストップフォードは言ったそうです。

第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐


私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。

後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。

第14軍司令官スリム中将


19 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 15:38:14.26

白骨街道の当事者、飢餓で苦しんだ当事者らが、牟田口ではなく佐藤師団のことを
どれほど恨んでいたか、その一部を紹介します。


『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』

「隣接友軍の無通告退却のために、直接の被害者となったわが右突進隊は、腹背の敵から挟撃されて、
推定260名以上に及ぶ犠牲者を出す運命の日となった。」

「損害の主因が戦場のルールと道義を無視した隣接部隊の友軍にあったという紛れも無い事実によって、
戦後なお敵に対するよりも、さらに激しいある種の感情を捨てきれない宿命を背負っている。」

「同じ戦場で同じ目的のために、死力を尽くしあってきた同胞に対し、ここに問題を提起して
新たな対立感情を起こすことは回避したいと思うし、この記録の目的とするところではないが、
「わが連隊の記録」への投稿者の戦友のうちには、この間の感情に対し、激烈な非難をこめた
ものが少なく無い異常さがあった。」

「歴史が単に局外者の推理やエゴイズムによって、創作されるとしたならば、それは恐るべきことである。
しかもこの形式が、ひとたび活字となった場合には公刊、非売、限定等の形式に関わらず、また内容の
当否は別として、既成事実化し、真実は葬り去られるのが世の常である。」

※これは佐藤師団長を美化した高木氏の小説に対すする反論だと思います
白骨街道の当事者らはみんな、牟田口ではなく佐藤師団長を激しく非難しています

『6月下旬、私は師団輜重連隊の本部と行動をともにしていた。
宿営地のそばのフミネ方面に通ずる道路をガヤガヤと大勢が通る足音に目覚め、天幕外に飛び出して驚いた。
見ると松明をかざした野盗に見まごう一団が歩いている。』

『その後、輜重連隊にも転進命令が下り、フミネに到着したが、そこには一粒の米も無かった。
耳に入ったのは6月下旬に烈の兵隊の襲撃を受け、否応無しに少ない糧秣を奪われたという情報であった。
友軍である烈の徒党を組んだ襲撃の情報は信じたくなかったが、タナンに向かう撤退行軍の苦難の日々が重なるにつれて、
烈の兵隊に対する憎しみの感情が起るのは、やむを得なかった。

戦後20数年を経た今日でさえ、捨てられた弁当箱にご飯粒が残っているのを見ると、
あの山の中で、この米粒があったらと思うと同時に、「あの時の米は烈に奪われたのだ」という思いが、
頭をかすめてくるのである。』


20 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 15:39:31.95

定説化されてきた牟田口批判、インパール作戦批判は

・無謀な作戦。初めから勝算が無かった。この作戦はやる意義、必要があったのか?

・部下や参謀らが無謀だと反対したが、聞く耳を持たず強行した。

・戦線を拡大しすぎている。補給のことを考えてない。

・防御を固めるべきなのに、攻勢に出た。

・勝算が無くなっても作戦を中止せず被害をひたすら拡大させた。

・そもそも牟田口は司令官の器ではない。

だいたいこういった内容でしょうか。
しかしこうした批判内容は、対米戦争で攻勢しまくって戦線を拡大し
結果、どこも補給が尽きて各地で玉砕を繰り返した
海軍主導の作戦と山本五十六の作戦指導こそが批判されるべき内容
そのまんまではないでしょうか?
しかしなぜか山本五十六は名将だと賛美されています

海軍側の太平洋戦線の作戦は、どんなにバカな作戦をやっても
だれも批判されない。
東部ニューギニアなんか20万もの兵力を送り込んでおきながら
補給なんか一粒の米も武器も、全く送ってません。
それで戦えとひたすら命令を出しているだけ、というのが
当時の日本軍です。
マスコミもそうしたバカな戦域の作戦を煽ってました。

こうした他の愚かな作戦が批判されず、だれも責任を問われず
インパール作戦だけが批判され、牟田口だけが批判されるのは
小学生でもおかしいと思うでしょう。
そうした出版社の意向に、ひたすら迎合しただけの書籍を出すような学者や作家が
人様を批判する資格があるんでしょうか?


21 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 15:41:01.31

インパール作戦は国家方針「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」に沿った戦いです。
海軍の暴走によって時期は遅れ、規模を縮小し陸軍単独作戦となってしまいましたが、
太平洋戦線の劣勢な状況を海軍側から知らされて無い東条首相が
この作戦を支持したのは当然の流れといえます。

当初予定した独伊と連携したインド、中東方面の作戦を西亜作戦と言います。
海軍ではインド洋作戦です。
大儀はビルマ、インド、イランの大英帝国からの独立支援です。

アジア独立を旗印にしたこの方面の作戦は、英軍に打撃を与えるだけでなく、
それ以上にソ連軍が窮地に追い込まれます。
スターリングラードの戦いで、補給の要衝であるペルシア回廊とバクー油田を
ソ連が失えば、独ソ戦の展開は大きく変わっていたでしょう。
ソ連軍は実は補給路が非常に限定されており、決定的な弱点がありました。

さらに日本軍が日本海を封鎖してシベリア鉄道の補給路を遮断すれば
ソ連軍の敗北はもはや決定的です。
ソ連が停戦を申し出た場合、単独講和を認めない連合軍の規定によって、
アメリカの戦争継続は不可能になりますので、戦争はこれで終結です。

アメリカ国民を刺激さえしなければ
大東亜戦争で日独伊が勝つのは、さほど難しくありません。
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」のとおりに
やっていれば良かったのです。

こういった主張を始めて行ったのは故佐藤晃氏です。
ハワイを攻撃した山本五十六を愚将だと評し、
インパール作戦で陸軍は勝てたという、その衝撃的な内容は、
当時はトンデモ本扱いされていましたが
徐々に認められ、今では保守派ではこの主張が完全に支持されています。


22 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 15:41:33.10

要するに日本が大東亜戦争で勝つためには
ドイツのスターリングラードの戦いに合わせて
インパール作戦のようなインド方面の作戦をやり
海軍はインド洋作戦を実施し、ペルシア回廊の遮断、ドイツはバクー油田の攻略
政略としてビルマ、インド、イランなどアジアの独立支援
さらには日本海の封鎖によりシベリア鉄道のソ連軍補給路の遮断。

これだけやってれば日本は勝てたのです。
これは当時の日本の主導者も、ちゃんとそれを理解してましたし
現に「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」でもそうなってます。(対ソ宣戦布告を除いて)
単独講和の禁止規定によって、ソ連またはイギリスの脱落でWW2は停戦に持ち込めます。

当然こういった日本側の意図をチャーチルもルーズベルトも
百も承知で、連合軍側は相当な危機感があったと思います。
連合軍側は負けることも想定していたと思います。

そこで米軍が打った手は、ドーリットル空襲とガダルカナル攻略です。
この作戦は米軍にとって戦略的な意味がまったく無く多大な犠牲を覚悟した
バカな作戦で、軍から相当な猛反対されたと思うます。

しかしルーズベルトは、迷うことなくこの大博打作戦を早期に打ってきました。
そして結果は、連合軍の思惑通り大成功しました。
日本の海軍は愚かにもこの餌に反応し、全軍でこの太平洋の陽動作戦に食いついてしまいました。


24 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 19:00:44.40

>>22
このコピペで一番わけ分からんのが連合国宣言の単独不講和の規定があるから英ソのどっちかが脱落したら全連合国が右へ倣えで停戦するという発想

第一次世界大戦のロンドン宣言で英仏露は単独不講和を誓った
ロシアは革命で脱落ブレスト=リトフスク条約で単独講和したが当然のように英仏連合国は戦争を継続した


23 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 18:27:57.54

むちゃくちゃw

前線で戦っていた兵士に、英軍は「牟田口は提示に退庁して、旅館〇〇に乗り込み。芸者□□と朝まで…」
なんて放送していたんだw

やる気がなくなるなくなるw


26 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 19:39:18.60

仮に佐藤幸徳がゴミだったとしても牟田口がゴミなのはかわりない。
要はインパールは池沼オールスター軍団だったw
寺内とかいう役立たずの猿もいたぐらいだしなw


28 ☆☆ :2020/08/28(金) 20:38:52.41

>>26
インパール作戦で実際に日本軍と戦った連合軍側の司令官、参謀らは皆が
牟田口の考えどおりに攻めていれば、日本軍は勝てたとの見解で一致しています。
こういった情報は日本ではまったく報道されず黙殺されています。


アーサー・スウィンソン大尉(英軍第二師団参謀・コヒマ戦線)『コヒマ』

牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。


スチルウェル中佐(米支軍作戦参謀・北部ビルマ戦線)

「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」


アーサー・パーカー中佐の書簡(インパール防衛の英印第四軍団参謀)

「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」


マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)

「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」


スリム中将(この戦い全般を指揮した連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』(英国公刊戦史)

日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、師団の主力を持って
猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。


ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプールで英第二師団等を指揮)

「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」


デリク・タラク准将(ウィンゲート部隊参謀長)(連合軍を勝利に導いた最大の功労者)

彼(牟田口)はその最後の作戦(インパール作戦)を除いて、その主要な戦闘の全てにおいて勝利を収めている。
インパールの戦いはワーテルローの戦いと同様に「非常に際どい」時期があった。
しかし、牟田口将軍はナポレオンの場合よりもはるかに優勢な敵を相手にして戦ったのである。
私は彼が生前、その戦いぶりについて日本国民から評価されたことを知って、うれしく思う。


29 ☆☆ :2020/08/28(金) 20:42:56.32

>>26
このように実際に現地で連合軍として戦っていた
多数のそうそうたる人物が牟田口の戦いを評価している

おまえなんぞの感想文とはわけが違う。


27 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 19:42:53.53

もっというと陸海軍の大東亜戦争時の指導者共はゴミばかりだったということ
昭和天皇もそこの部分を示唆されている。
東郷なら真珠湾奇襲とかアホみたいなことやらなかっただろうしな


30 ☆☆ :2020/08/28(金) 20:55:51.53

重要な事は、海軍主導の太平洋戦線の全ての作戦が
インパール作戦よりも、愚劣でバカな作戦ばかり
だったということ。

そのバカな作戦を賛美していた、海軍省記者クラブの連中(山本五十六の応援団)と
権力者に迎合した商売作家ら(阿川や司馬、半藤など)が
牟田口批判を広めてきたと言う事実。

この汚い連中は文芸春秋とかがその中心
今年の8月15日にも、5ちゃんで大量の誹謗中傷を実施した。
(ニュース速報+で)

山本五十六の信者は
実に汚い連中


31 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 21:49:28.03

イギリス人の評価とかw池沼の言うことは違いますなぁw
日本人の評価にしろよw


33 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/28(金) 23:18:00.43

山本五十六のアホさえこの世に存在しなければ
インパール作戦は成功してるだろうし
日本は戦争で勝てていた。
というより戦争は起こらなかった。


34 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/29(土) 09:09:40.57

海軍ガー君は海軍のダメさに注力すればいいのに海軍ガーそれに比べてインパールを立案した牟田口はーと書くからグダグダになる

真珠湾は下の下 御前会議の絶対国防圏を無視 ブーゲンビル航空戦や台湾沖航空戦の大虚報 天王山のフィリピン決戦で勝利条件はマッカーサーの上陸軍の撃破にあるのに輸送船攻撃はしとうない艦隊決戦やりたいなどと幼児のようなわがまま言った上なんの戦果もあげなかったレイテ沖海戦 一方こちらの兵員輸送船は片っ端から沈められ海没した陸兵は数知れず 南方資源輸送船の護衛すら特にできず帝国をジリ貧にさせる

海軍のダメさは枚挙にいとまはない が海軍のダメさと牟田口がダメなのとはべつにトレードオフではないんだから海軍ガーに専念したら


36 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/29(土) 17:44:44.76

三個師団全滅で12万近くの犠牲者って
一個師団って多くて二万くらいだろ。
残りはどこの兵隊だ?


43 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/31(月) 09:31:08.92

インパール作戦ことウ号作戦はそもそも作戦目的が曖昧模糊としている
作戦目標は大陸指第1776号の通りインパール付近の東部印度の要域を確保となっている インパール周辺を何のために確保するのか これが全く明確ではない

wikiでは援蒋ルートの遮断を目的に云々とあるがこれは少しおかしい 援蒋のビルマルートは緒戦で既に遮断済であるインパール作戦構想の1944年の時点では援蒋ルートはアッサムから昆明へのいわゆるハンプ越えの空輸が主体になっている これは日本軍もはっきり理解しており支那派遣軍総司令官の畑元帥もそう書き残している また建設中のレド公路はインパールよりずっと北にある
つまりインパールを攻略しても援蒋ルートの遮断には何ほども寄与しない 遮断をするなら出発地のアッサムを攻略するかインパール攻略後そこに航空軍を進出して輸送機を攻撃するかだがそもそもそんなことができる空軍力はビルマ方面軍にはない


47 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/09/01(火) 12:36:42.45

>>43
>インパール周辺を何のために確保するのか これが全く明確ではない

ビルマ防衛のために決まってるじゃないか。
ここを日本が確保している限り英軍のビルマ奪還は不可能。
またここでインド国民党軍の旗揚げも重要な目的。
政略的にも戦略的にもインパール攻略は必然。


44 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/31(月) 09:46:44.20

牟田口中将には英印軍のビルマ侵攻前にこちらが攻勢に出て出鼻を挫く いわゆる攻勢防御の考えがあったと言う話もある
だが攻勢防御なら出鼻を挫いて時間を稼いだら撤収して防衛に当たることになるがインパールを占領さらに余勢をかってアッサムへとかそれはもう攻勢防御ではなく立派な侵攻作戦である
成功するなら別にそれもありと思うが高々3個師団でしかも航空支援なしで倍の英印軍と一大航空軍の守るアッサム攻略とか誇大妄想にも程があるだろう


45 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/08/31(月) 17:27:50.15

>>44
その批判はそのまんま
海軍の作戦に当てはまるんだが?


48 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/09/02(水) 18:22:50.24

インパールを押さえたとしても海沿いのアキャブからラングーンを突かれるとか雲南から侵攻するとかいくらでも侵攻ルートはあるんじゃないの
大体空軍なしでいつまでもインパールを保持できるのか
この時期には印支方面の英米の航空戦力は段違いに強化されている


49 名無しさん@お腹いっぱい。 :2020/09/03(木) 17:17:54.29

軍の作戦でありながら軍司令部が前線から400kmも後方にいて軍だけが前線にいるというのは指揮官先頭の日本軍の面汚しと言える

ガダルカナルでは百武軍司令官がニューギニアでは安達軍司令官が軍と共にあった
山下方面軍司令官も牛島軍司令官もおよそ帝国の軍司令官達は軍を指揮掌握して戦ったのである
牟田口中将がやっていたのは大本営参謀本部と同じく遥か遠方から督戦していただけである

海軍で言えば山本がミッドウェー海戦で遥か後方から大和でノコノコついてくるとかレイテ沖海戦で豊田司令長官が日吉のおかのうえで一大決戦を眺めてると言った醜態と同じである


70 名無しさん@お腹いっぱい。 :2021/01/16(土) 18:06:06.91

何でこんな無茶をやろうとした。
現場司令部が後方に有りすぎる弊害か。


71 名無しさん@お腹いっぱい。 :2021/04/05(月) 00:42:10.81

むしろ撤退のときに沢山死んだんだろ




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