厳しく監視・干渉されていたので
朝廷に「政治体制」なるものは無いかと・・・
禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)は、江戸幕府が、禁中(=天皇)及び公家に対する関係を確立するために定めた制定法。禁中并公家中諸法度、禁中竝公家諸法度、禁中方御条目、略して公家諸法度とも。 禁中並公家諸法度(当初は「公家諸法度」)は、徳川家康が金地院崇伝に命じて起草させた法度 17キロバイト (2,048 語) - 2022年3月3日 (木) 08:14 |
一つの国を二つの機関で統治してる二重支配的な感じ?
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教会と皇帝みたいなもんだろ
俺もその辺理解できなかった
一応幕府は朝廷のものだ
朝廷が政治してたかっていうと…
朝廷って幕府のコントロール下にあったんじゃないの?
天皇家みたいなもんじゃないの
天皇が内閣総理大臣を任命するみたいな
むしろ藩ぜんぶが独立政府だろ
江戸天皇って凄いよな
ないよ
朝廷は政治に口出しできなかったし
食うのに精一杯でそんな余裕なかった
ただしペリー来航で狂ってきた
ほぼ藩ごとで政治体制違うぞ
当時の白人宣教師はそう認識したらしいな
宗教的な権力として天皇が居て世俗的な権力として将軍がおると
ローマ教皇と皇帝みたいなもんかーと理解したっぽい
そもそも長州以外は朝廷と接触できなかった
ペリーが来て、幕府が朝廷に無断で勝手に外国との条約を結んだから
朝廷は怒って倒幕になったんでしょ
ペリーが
幕府が相手にしないんだったら
朝廷と取り引きすると言い出した
今のアメリカみたいな合衆国だろ日本は江戸幕府はワシントン
天皇家が公家の棟梁、将軍が武家の棟梁って感じ
班ごと独立政治で幕府が一応取りまとめており
形としては朝廷が幕府の上に居て任命してたけど
実質幕府の将軍トップにした中高~老人会のが権力持ちって感じ
江戸時代の天皇空気過ぎワロタ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%B8%9D%E6%95%99%E7%9A%87%E4%B8%BB%E7%BE%A9
ヨーロッパでもこんなのがあったしガチで国作りやると普通に起きうる事っぽいな
イスラム圏でも宗教的指導者の○○と軍事的?指導者の○○みたいな言われ方よくしてるし
庶民は自分のところの殿様は知ってても天皇陛下なんて知らなかったのでは?
気になるのはお伊勢参りって流行ってたけど
あの頃の神道って今ほど天皇家と関わりなかったのかな?
>>23
日本書紀、古事記はあったんだから信仰も天皇に対する認識も脈々と続いてきたに決まってるだろ
>>23
田舎住みだと地元の殿様ぐらいしか知る機会なさそうだよね
>>23
昔は伊勢神宮で暦を作ってたから幕府も暦無しでは運営出来なかった
そこで幕府は天皇に作っていただいた物を使わせていただきますと言うスタンス
今でも天皇が亡くなると元号を改元するのはそのせい
>>51
実は昔は天皇崩御しても元号は必ず変わるわけではなかった
干支の回りとゲン担ぎやまじない目的で変更されており
元号を天皇在位期間と結びつけたのは明治から作られたもの
>>51
なるほどね、勉強になるなぁ
>>宗教上の権威と世俗の権威が主導権を争うことは洋の東西を問わずよく見られることであったが、
実際には京都所司代と公家諸法度で縛ってただけで文書なりなんなりで政権委任が確定してたわけじゃない
権利が幕府にある事を相互確認したのは幕末になってから
国家に関する非常に重要な出来事なのに、幕府の対応が
気に入らなかったから討幕運動が起きたのか
鎌倉時代からは幕府が出来て治安が安定するから朝廷も軍事には関与しなくなったんだよな。でも幕府は六波羅探題(朝廷を監視する)を置いて朝廷が政権を奪い返すのを危惧してたわけだ
まあローマ教皇と皇帝って認識も言い得て妙だな
お伊勢参りとかああいうのって明治維新以降に生まれた文化な気がするけどね
江戸時代の人がそんなよそまで出かけるかなあ
>>30
村が金を出し合って代表者が伊勢参りしたり、
親や主君に黙って抜け駆けで伊勢参りしたり
結構庶民でも流行ってたぽいけどな
>>30
東海道五十三次とか描かれてるし人の往来が会ったことに疑う余地はないだろ
そんなに不思議か?
今の天皇と政府と大して変わらん
天皇が政治に絡んでたのは
実は歴史上あんまりない
鎌倉からは基本幕府が中央政治持ってたし
というのも蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺するって事件があったから
叔父が殺されたもんだから
聖徳太子がそんな悲しい事が起きないように
政治と象徴に分けた
>>33
聖徳太子がGJ過ぎるな
よく考えりゃ不思議だなと思ってたんだよ
日本もそれなりに長い歴史歩んできてて今の今まで一度も皇族を滅ぼそうって蛮行が起きなかったなって
>>35
足利義満・道鏡「せやな」
>>38
足利義満が天皇滅ぼそうとしたっけ?
平清盛みたいに朝廷と結びついててむしろ真逆に思える
>>41
取って代わろうとした
自分の息子を皇太子と同じ扱いにしてる
元服を皇族と同じ様式にしたり
自分の事を太上天皇と呼ばせてたけど死んだ時に義持が太上天皇の尊号は断ってる
>>46
あーなるほど。でも最近はそれ否定されてなかった?
太上天皇って称号は天皇が臣下に送るものであって、太上天皇=天皇ではないはず
まぁ所詮、通説は通説なんだけどさ
>>52
通説は色々あるよね
太上天皇は元々譲位した天皇の事
今は略して上皇と呼んでる
>>35
平将門とか
>>39
それは地方で勝手に名乗って討伐されただけ
>>40
藤原純友と謀ってたという話もあるよ
将門が帝になって純友が関白になるという
>>43
タイミングが合ってるからありそうだな
でも畿内には入り込む前にどっちも潰されてるからただの反乱扱いだろうな
まぁ天皇がいてこその幕府だし
政治家と官僚みたいなもんだ
当時の外国政府もなかなか理解できなかった
徳川が禁中並公家諸法度を制定する辺り朝廷に実権なんか無くて徳川家の権威付の役割しかないでしょ
今の皇室と実質的に同じ扱いだと思う
まあ別にわざわざ滅ぼすメリットがなかったんだろうし
脈々と続いている皇族って存在がこの国にとってどれだけ重要なものなのか昔の人たちも理解してたんじゃねえの?
幕府はその名の通り朝廷が国を治められない時の臨時政府な
>>48
幕府って軍隊が駐屯してる時の本部だろ
大きな災害があったり将軍が変わったりしても改元してたよね
まあ気分を入れ替えましょう的なニュアンスだと思うわ
>>55
今は天皇が代わる時だけなのに
地震の時に菅直人が元号変えろとか言ってたよなw
>>56
「昔なら元号変えてたけど今は政権交代すべき(キリッ」ってやってたから何言ってんだこいつ扱いされてただけで変えろとは言ってない
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wan_nyan_zanmai
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