ひろいあつめ@歴史まとめ

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    近世

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    (出典 www.gibe-on.info)

    度重なる対仏大同盟に立ち向かうべく、
    いわゆるナポレオン戦争が繰り広げられたわけだが…

    もし、ロシアを制圧しイギリスとオスマンを屈服させたら
    そこでヨーロッパは一円、ナポレオン勢力下となって
    大団円だったのだろうか?

    それとも中央アジアまで食指を伸ばしてきたかな?


    1 世界@名無史さん :2017/06/04(日) 06:12:52.82

    ナポレオン・ボナパルト(1769年8月15日 - 1821年5月5日)は、革命期のフランスの軍人・政治家である。
    ナポレオン1世(在位:1804年 - 1814年、1815年)として、フランス第一帝政の皇帝にも即位した。
    フランス革命後の混乱を収拾して、軍事独裁政権を樹立した。
    また、戦勝と婚姻政策によって、イギリス、ロシアとオスマン帝国の領土を除いたヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置いた(これら一連の経過をナポレオン戦争という)が、最終的に敗北して失脚した。
    日本において世界史上最も有名な人物の一人である。

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    (出典 img.elle.co.jp)

    フランス革命のさなか、
    国王一家のオーストリアへの脱出未遂、
    いわゆるヴァレンヌ事件。

    動機は身体の危機を感じてだろうけど、
    もし完遂されたら
    実兄オーストリア皇帝レオポルト2世による
    オーストリアの軍事干渉を招いた可能性大だから…

    国王夫妻のギロチン処刑にまで至った根拠は
    「革命フランス共和国に対する外患誘致未遂」
    ってことかな。

    絶対王政に生きた王妃サマには
    「がいかんゆうち」なんて最期まで理解できなかっただろうねぇ…


    1 世界@名無史さん :2018/05/23(水) 04:51:27.98 0.net

    1755年11月2日にオーストリア女大公マリア・テレジアの十一女としてウィーンで誕生。
    フランス国王ルイ16世の王妃。
    フランス革命中の1793年10月16日にパリのコンコルド広場においてギロチンの刑に処せられ刑死した。

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