ひろいあつめ@歴史まとめ

「ひろいあつめ」が「拾い集め」から「広い、厚め」になるよう
そんな歴史まとめサイトをめざしてます。(^_^;)

    近現代

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    (出典 sanjyunotou.cocolog-nifty.com)

    もはやコメントは不要…

    見たまんまw


    1 風吹けば名無し :2019/05/10(金) 17:19:21.52 ID:k5OTbe4dp.net

    1941 12月 日: 8 米:6

    【太平洋戦争中の日米の空母数推移】の続きを読む

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    (出典 www.mag2.com)

    陸軍士官学校に入学するあたりからスタートってわけか…

    満州事変が起こる前、
    史実より10年ほど早く総理大臣になって、
    対英米関係を良好にするように努め、独伊には接近しないとか?

    それには陸軍内で絶大な求心力を確立した上で首相にならんとね…
    関東軍も暴走させんようにせんとなw

    ほんで、WW2勃発の暁には英仏側つまり連合軍として参戦する…と。

    どう? (@_@;)


    1 風吹けば名無し :2019/04/10(水) 04:17:14.59 ID:CMtqD8cz0.net

    やる?

    【1900年の東條英機になって第二次世界大戦を勝利したら100億円】の続きを読む

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    (出典 www.hamamatsu-e-cier.shizuoka.jp)

    西南戦争で、西郷隆盛が維新の矛盾である不平士族と心中し、
    その遺恨の残滓を一身に受けて、大久保利通が斃れる…

    それを以って、明治維新の完成か。

    維新の立役者でありながら、不憫な最期だな…


    1 以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします :2019/03/30(土) 21:52:54.813 ID:zUCnLCur0.net

    1番最後が西南戦争…やったっけ?最初はなに?

    【明治維新の流れをサッとレスしてくれ】の続きを読む

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    (出典 kidsmangrove.xyz)

    ノルマンディー上陸とバグラチオン攻勢以後、
    一年近くまともにアメリカ、ソ連と二正面で渡り合ったナチスドイツも
    相当のモノだと思う。
    当初、半年以内でカタをつける予定が狂ったらしいし…

    ほんと、WW2は狂気w


    1 名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote! :2018/10/22(月) 10:12:57.15

    強すぎる

    【アメリカ、ソ連、中国らを相手にたった一国で互角に渡り合った大日本帝国ってすごくない?】の続きを読む

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    (出典 www.mbs.jp)

    この説、明治維新以後の西郷どんの扱いがヒドイw

    日本最初の陸軍大将にして、征韓論とかガンバってたのにねぇ…


    1 瓜子ひめ ★ :2018/08/19(日) 19:41:38.75 ID:CAP_USER9.net


    (出典 dol.ismcdn.jp)


    日本史のおもしろさは、ずばり「人」にあります。
    何か「すごい」ことを成しとげた人は、歴史に名前が残ります。でも「すごい」だけの人なんて、この世にひとりもいません。
    むしろ、ものすごい失敗をしたり、へんな行動をしたりして、まわりから「やばい」と思われているような人が、誰にもできない偉業をやってのけていることもあります。 だって、人生は長いのです。いい日も悪い日もあるし、年とともに変化だってあります。
    いろんなことを考え、行動し、ときに失敗し、そこから学び、たまに成功する。カッコいい一面もあれば、ダサい弱点もある。
    だからこそ、人はおもしろいのです!
    「すごい」と「やばい」の二面から、日本史の人物の魅力に迫る『東大教授がおしえる やばい日本史』より、今回特別に内容を一部公開してお届けします。

    ■「西郷どん」の、どこが「すごい」か説明できますか?

    大河ドラマ『西郷どん』や上野恩賜公園の「西郷隆盛像」で、多くの人に親しまれている西郷隆盛。でも、いざ「何をしたすごい人?」と聞かれても、じつは上手に説明できない人もいるのではないでしょうか。

    ■すごい西郷隆盛 血を流さずに江戸城の明けわたしに成功

    薩摩(鹿児島)のまずしい武士出身だった西郷隆盛は、若い武士や農民たちに大人気でした。それは、はっきりと意見を言う男気あふれる人だったから。

    藩主の父の島津久光にもバンバンものを言ったせいで、島流しにされます。しかし、若い武士たちの命がけの署名運動によって何とか呼びもどされました。

    薩摩武士の代表となり、薩長同盟を結んだ隆盛は、一気に江戸城を攻めて将軍を殺し、幕府を倒そうとします。そこへ幕府の代表・勝海舟が「江戸城を明けわたすから、将軍と部下たちの命は助けてやってくれ」と頼みにきました。

    主君を思う海舟の心に感動した隆盛は、無血開城を決断します。無血開城とは、文字どおり血を流す(殺す)ことなく城を明けわたすこと。隆盛によって、平和的に明治維新のきっかけが作られたのです。

    ■やばい西郷隆盛 太りすぎて死にかけ犬を飼う

    明治時代になり、戦争ではなく政治の時代が来ると、隆盛の出番はなくなりました。

    すると、ヒマになった隆盛は、どんどん太りだしてしまったのです。東京の上野恩賜公園に犬をつれた隆盛の銅像がありますが、あれは医者に「このままだと太りすぎで死ぬから、ダイエットのために犬を飼いなさい」とすすめられて飼った犬です。

    1877年、隆盛は新政府に不満をもつ若者たちのリーダーにさせられ、西南戦争を起こして負けてしまいます。でも、切腹するときも男気を忘れず、犬たちだけは助けたいと首輪を外して逃がしてやったそうです。

    ソース:ダイヤモンド・オンライン
    https://diamond.jp/articles/-/177698

    2018.8.19

    【【歴史トリビア】西郷隆盛が犬を飼ったワケ。「やばい」から日本史が見えてくる!】の続きを読む

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