ひろいあつめ@歴史まとめ

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    奈良時代

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    (出典 auctions.c.yimg.jp)

    和気清麻呂…

    皇統断絶の危機を救った人物という見方もできるよね。
    だから明治以降崇められて、紙幣の肖像にしてもらえてたりする。


    1 きつねうどん ★ :2019/02/28(木) 12:24:28.46 ID:CAP_USER.net

    火あぶりや鋸引きも恐ろしいけれど…奈良時代にはもっと恐ろしい刑罰が!?
    罪人に下される刑罰には、昔から様々なものがありました。よく知られているものには武士の切腹を含む死罪の他、流罪(島流し)、蟄居などがありました。

    江戸時代には火あぶりや鋸引き(のこぎりびき)などもあったというから、恐ろしいですね!

    しかし奈良時代に貴族・和気清麻呂(わけのきよまろ)に下された罰は、ある意味それと同じか、それ以上に恐ろしいものでした。

    なぜそうなった!?なんと名前を「きたなまろ」に!
    和気清麻呂に下された刑罰は、大隅国への流罪に加え、名前を「和気清麻呂」から「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」といういかにも汚そうな名前に改名することでした。

    当時の天皇は、僧侶の道鏡を天皇に即位させようとしたことで知られる女帝・称徳天皇(孝謙天皇)。2019年2月現在、日本史上唯一の「皇太子を経て即位した女帝」としても知られています。

    和気清麻呂は、その称徳天皇の側近だった尼僧・法均尼こと和気広虫の弟でした。事の発端は、称徳天皇が「朕が師」と信頼し、寵愛していた僧侶・道鏡に「法王」という位を新設して与えたことでした。

    その道鏡に気に入られて出世をと目論んだのか、はたまた天皇と同等の権力を得た道鏡が天皇の位をも狙って嘘をつかせたのかは分かりませんが…大宰府の主神(かんづかさ)を務めていた習宜阿曾麻呂(すげのあそまろ)が「宇佐八幡神の神託」として、こんなことを天皇に奏上しました。

    「道鏡を天皇にすれば、天下太平となる」

    道鏡を次の天皇にしたいと望んでいた称徳天皇は、神託が本物かどうかを側近の尼僧・法均尼に確かめに行かせようとしましたが、病弱な法均に長旅は無理だったため、その弟の和気清麻呂が宇佐八幡宮へ行くこととなりました。

    清麻呂は出発前、道鏡から
    「『吉報』をもたらせば、官位を上げてやる」
    と持ちかけられましたが、宇佐の大神からのお告げは

    「天皇の後継者には必ず皇族の者を立てろ。無道の人(道鏡)は早く追放せよ」
    というもの。

    都へ戻った清麻呂は、このご神託をそのまま天皇に報告したことで、天皇と道鏡の怒りを買うこととなったのでした。

    清麻呂は名前を「別部穢麻呂」に改名させられた上、職を解任・流刑。さらに姉の法均尼こと和気広虫も「別部狭虫(わけべのさむし)」に改名させられ流刑となってしまいました。

    なぜ称徳天皇はこんな刑罰を与えたの!?
    称徳天皇が清麻呂姉弟に下した「強制改名の刑」は、単なる嫌がらせではなく、天皇のある「こだわり」によるものでした。

    称徳天皇は清麻呂以外にも、自分に反抗したものを卑しい名前に改めさせたことがありました。名前や言葉には「霊」が宿っているため、大切にしなければならないという「言霊信仰」的な考え方があったからでした。

    称徳天皇によって「強制改名」の刑を受けた人物には、他にも橘奈良麻呂の乱で廃太子とされた道祖王(ふなどおう・麻度比(まどひ)に改名)や、称徳天皇を呪詛した疑いをかけられた不破内親王(ふわないしんのう・厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ/台所の下女という意味)に改名)などがいます。

    これから毎日卑しい名前で呼ばれることになるなんて、生きていく上でもっとも精神的にきつい刑罰ではないでしょうか。

    https://mag.japaaan.com/archives/92068

    【女帝・称徳天皇が和気清麻呂に下した「穢麻呂(きたなまろ)」という汚そうな名前への強制改名の刑罰】の続きを読む

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    (出典 blog-imgs-42.fc2.com)

    この6度目のチャレンジ
    阿倍仲麻呂も、鑑真と同じ船に乗ってたら帰国が叶ったのにねぇ…

    すこしほろ苦いw


    1 風吹けば名無し :2020/02/24(月) 10:42:30 ID:IWSwH3zs0.net

    鑑真和上が6度目の渡日を目指していることが23日分かった。阿倍仲麻呂氏がキャンプ地の沖縄で本誌に語った。

    鑑真和上は座禅で鍛えた下半身から繰り出される伸びのある読経と変化量の大きい公案が特徴の禅の本格派。
    一時「失明」説も浮上していたが、阿倍仲麻呂氏は「なんの問題もない。そもそもあのハゲども(私度僧)とは何もかも(レベルが)ちゃう」と太鼓判を押す。

    ただ、1番の問題は今まで5度にわたり条件面で折り合わず渡日が叶っていない点。しかしこの点も「前は弟子が(裏切った)。今回は日本側で船を用意したし(渡日)いけるやん」と問題なしとの考えを示した。
    もし来日すれば、初のメジャーの本格派として日本イムの戦力となることは間違いないだろう。

    なお仲麻呂氏は「俺も最後は(日本で)な」と記者に対し自らも日本復帰の意欲を滲ませていた。

    鑑真和上が乗った第二船は仲麻呂氏の第一船とともに月末にも太宰府入りする予定。

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    (出典 image.news.livedoor.com)

    墾田永年私財法。

    Wikipediaによると、
    身分によって所有できる土地には上限があったみたいね…

    墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)は、奈良時代中期の聖武天皇の治世に、天平15年5月27日(743年6月23日)に発布された勅(天皇の名による命令)で、墾田(自分で新しく開墾した耕地)の永年私財化を認める法令である。古くは墾田永世私有法と呼称した。荘園発生の基礎となった法令である。18
    10キロバイト (1,599 語) - 2018年7月1日 (日) 22:24


    1 風吹けば名無し :2018/08/04(土) 22:28:45.30 ID:HkWLInLY0.net

    (聖武天皇が)命令する。
    これまで墾田の取扱いは三世一身法に基づき、期限が到来した後は収公していた。
    しかし、そのために農民は怠け、開墾した土地が再び荒れることとなった。
    今後は三世一身に関係なく、全ての場合において、永年にわたり私財としてよいこととする。

      天平15年5月27日

    【聖武天皇「農民が全然田んぼ作らへん…せや!」】の続きを読む

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