ひろいあつめ@歴史まとめ

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そんな歴史まとめサイトをめざしてます。(^_^;)

    近現代

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    (出典 ilha-formosa.org)

    それはどうだか…


    1 以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします :2020/05/20(水) 15:03:17 ID:+M+E0DM40.net

    そしたらどんだけ有能な超大国になってたんだろうな…

    【もし蒋介石が毛沢東に勝ってたら中国本土が今の台湾みたいになってたんだろ?】の続きを読む

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    (出典 history.ceburyugaku.jp)

    全面戦争に発展したのは確かに一か月ほど後の第二次上海事変によってであるが、
    盧溝橋事件で軍事衝突して以来、正式な外交ルートでの停戦が成らずに推移したのであるから、
    日中戦争は盧溝橋事件を以って始まりとして良い、とワタシは思う。

    さて―

    1937年7月、盧溝橋事件、戦闘勃発
    1937年8月、第二次上海事変、全面戦争化
    1937年9月、第二次国共合作成立、中国共産党も対日参戦、抗日戦略の一本化
    1941年12月、重慶国民政府対日宣戦布告、名実ともに戦争状態へ

    どれが本当の始まりだろうか?


    1 名無しさん@涙目です。(大阪府) :2011/10/02(日) 13:07:14.11 ID:B5isNnMh0 ?PLT(12000) ポイント特典

     ことしの教科書採択は終了したようだが、毎年、考えるのは歴史教育が随分とゆがめられているのではないか、ということだ。
    教科書を執筆している人も、採択の担当者も教師も歴史を知らないのではないか、とさえ思えてしまう。
    とくに近現代史がそうで、例えば、昭和12年7月に始まったとされる日華事変(教科書では日中戦争)について、
    「北京郊外での日中両軍の衝突によって日本と中国が全面戦争状態に入った」などと書かれる。が、これは正しくない。

     盧溝橋事件は日本の支那駐屯軍と中国の宋哲元軍(第29軍)との衝突だが、10日後には宋が日本軍の香月清司軍司令官に
    遺憾の意を表明して停戦が成立している。
    しかも、日本軍の桜井徳太郎少佐が宋哲元軍の軍事顧問をしていたのである。日本軍と米軍が戦争しているときに、
    日本軍人が米軍の軍事顧問になるだろうか。

     その後、8月13日に第二次上海事変が起こり、日本軍と蒋介石軍との間で戦争状態となるが、日本軍が戦ったのは、
    蒋介石軍と、共産軍である八路軍であり、蒋介石軍と八路軍もまた、互いに戦争状態にあった。蒋介石軍と八路軍が戦闘を
    している場面に出くわした日本軍が両軍の戦闘を傍観するということもあった。さらに、日本政府は国民政府の汪兆銘と協定を結び、
    その結果、日本軍は汪兆銘軍と共同して作戦を遂行したりしている。日本の将兵と汪兆銘軍の中国人将兵が一緒に行軍して、
    八路軍と戦うということもあった。

     また、上海のクラブでは、中国人バンドの演奏で、日本人と中国人が同じテーブルで酒を飲み、歌を歌い、踊りを踊っていた。
    そこにはアメリカ人もイギリス人もいて、中国各地で繰り広げられている日本軍、蒋介石軍、汪兆銘軍、
    八路軍の動向が話題に上ったりもしていた。映画「上海バンスキング」の世界である。

     当時の日本は政府であれ、軍であれ、国民であれ、中国と戦争をしているという自覚はなかったのである。あえていえば、
    日本の権益を守るために、それを妨害する蒋介石軍と八路軍を懲らしめているといった認識であったろう。
    あくまで戦争の対象は「蒋介石」であったから、「援蒋ルート」などの言葉も生まれたのである。
    (編集委員 大野敏明)

    http://sankei.jp.msn.com/life/news/111002/edc11100207100002-n1.htm

    【歴史教科書のウソ 盧溝橋事件から日中全面戦争←まちがい】の続きを読む

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