ひろいあつめ@歴史まとめ

「ひろいあつめ」が「拾い集め」から「広い、厚め」になるよう
そんな歴史まとめサイトをめざしてます。(^_^;)

    伏見城攻防戦

      このエントリーをはてなブックマークに追加


    この逸話は
    『島津家代々軍記』など島津家の書物にのみ
    記されているということ・・・

    大河ドラマ「葵三代」で
    すっかり有名になりましたなw


    1 風吹けば名無し :2021/07/26(月) 07:15:17.88

    豊久「おいらを疑うちょるのか?」

    元忠「お答え致しかねる」

    豊久「内府殿より一旦事ある時は伏見城を頼むと、公言仰せじゃった!!」

    元忠「聞いておらぬ」

    豊久「敵にまわっても良かとじゃなぁ!?」

    元忠「それもお答え致しかねる!!」

    義弘「これまでじゃ」

    豊久「叔父上ッ」

    義弘「家康はおいらに恥をかかせた!!」

    豊久「元忠ぁ!!島津を見くびっとじゃなかとぉ!!」

    元忠「……………」

    【島津豊久「伏見城の助太刀に参った、開門されい」元忠「笑止千万、その手には乗らぬ」】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加


    (出典 i.ytimg.com)

    息子さんが討ち死にしたわけではないw

    元忠さんご自身は生前、頑なに加増を断り続けたそうだから、
    その分も含めて、ね。

    鳥居 忠政(とりい ただまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。下総国矢作藩主、陸奥国磐城平藩主、出羽国山形藩主。官位は従四位下・左京亮。壬生藩鳥居家初代。 三河国渡村(現在の愛知県岡崎市)にて鳥居元忠の次男として誕生。母は形原松平家広の娘(徳川秀忠の又従兄弟)。
    6キロバイト (623 語) - 2020年9月9日 (水) 03:33


    1 風吹けば名無し :2020/03/31(火) 20:46:21 ID:s04O7tpWa.net

    三成に攻めて来させる為に僅かな兵と共に
    捨て石と知って城に篭った鳥居元忠

    その息子は関ヶ原の後に父の功績で2000石から10万石の大名に
    大阪の陣の際は江戸留守居役として戦後に22万石に加増される

    家康、秀忠の代まで元忠の供養料として毎年100石を支給されていた

    【伏見城で城を枕に討ち死にした鳥居元忠の息子さん】の続きを読む

    このページのトップヘ