ひろいあつめ@歴史まとめ

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そんな歴史まとめサイトをめざしてます。(^_^;)

    刑罰

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    演出上の問題だろうけど
    あまり時代劇では見ませんなー

    けっこう、エグい刑罰よね・・・


    1 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします :2022/01/15(土) 18:43:04.106


    (出典 imgur.com)

    【【画像】江戸時代にあった「入墨刑」という刑罰がこちら】の続きを読む

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    鹿政談なんて美談(?)も生まれる。

    鹿政談(しかせいだん)は古典落語の演目の一つ。元々は講釈種の上方落語の演目で、明治の初期に2代目禽語楼小さんが東京に移植した。 主な演者として、東京の6代目三遊亭圓生や6代目春風亭柳橋、上方の3代目桂米朝などがいる。 現在でも鹿は奈良の名物であるが、かつては鹿
    9キロバイト (1,542 語) - 2021年4月5日 (月) 08:13


    1 名無しさん@おーぷん :21/02/07(日)10:44:59 ID:tKt

    。天文20年(1551年)10月2日には、10歳の女子が本子守町で鹿に石を投げたら当たり、神鹿を殺害したとして、大人と同じように縄でくくられた上で興福寺周囲の塀を馬で一周させられ(大垣回し)した後に斬首処刑され、家族は連座で家屋を破壊され追放された(『興福寺略年代記』[9])[10]。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E3%81%AE%E9%B9%BF

    【奈良の鹿は神獣であった・・・】の続きを読む

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    (出典 livedoor.blogimg.jp)

    人権ねぇ・・・

    取り調べの方も、たいがいなんだが。


    【江戸時代って犯罪起こしたら市中引き回しのうえ火炙りや獄門晒し首にされたらしいな】の続きを読む

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    (出典 auctions.c.yimg.jp)

    和気清麻呂…

    皇統断絶の危機を救った人物という見方もできるよね。
    だから明治以降崇められて、紙幣の肖像にしてもらえてたりする。


    1 きつねうどん ★ :2019/02/28(木) 12:24:28.46 ID:CAP_USER.net

    火あぶりや鋸引きも恐ろしいけれど…奈良時代にはもっと恐ろしい刑罰が!?
    罪人に下される刑罰には、昔から様々なものがありました。よく知られているものには武士の切腹を含む死罪の他、流罪(島流し)、蟄居などがありました。

    江戸時代には火あぶりや鋸引き(のこぎりびき)などもあったというから、恐ろしいですね!

    しかし奈良時代に貴族・和気清麻呂(わけのきよまろ)に下された罰は、ある意味それと同じか、それ以上に恐ろしいものでした。

    なぜそうなった!?なんと名前を「きたなまろ」に!
    和気清麻呂に下された刑罰は、大隅国への流罪に加え、名前を「和気清麻呂」から「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」といういかにも汚そうな名前に改名することでした。

    当時の天皇は、僧侶の道鏡を天皇に即位させようとしたことで知られる女帝・称徳天皇(孝謙天皇)。2019年2月現在、日本史上唯一の「皇太子を経て即位した女帝」としても知られています。

    和気清麻呂は、その称徳天皇の側近だった尼僧・法均尼こと和気広虫の弟でした。事の発端は、称徳天皇が「朕が師」と信頼し、寵愛していた僧侶・道鏡に「法王」という位を新設して与えたことでした。

    その道鏡に気に入られて出世をと目論んだのか、はたまた天皇と同等の権力を得た道鏡が天皇の位をも狙って嘘をつかせたのかは分かりませんが…大宰府の主神(かんづかさ)を務めていた習宜阿曾麻呂(すげのあそまろ)が「宇佐八幡神の神託」として、こんなことを天皇に奏上しました。

    「道鏡を天皇にすれば、天下太平となる」

    道鏡を次の天皇にしたいと望んでいた称徳天皇は、神託が本物かどうかを側近の尼僧・法均尼に確かめに行かせようとしましたが、病弱な法均に長旅は無理だったため、その弟の和気清麻呂が宇佐八幡宮へ行くこととなりました。

    清麻呂は出発前、道鏡から
    「『吉報』をもたらせば、官位を上げてやる」
    と持ちかけられましたが、宇佐の大神からのお告げは

    「天皇の後継者には必ず皇族の者を立てろ。無道の人(道鏡)は早く追放せよ」
    というもの。

    都へ戻った清麻呂は、このご神託をそのまま天皇に報告したことで、天皇と道鏡の怒りを買うこととなったのでした。

    清麻呂は名前を「別部穢麻呂」に改名させられた上、職を解任・流刑。さらに姉の法均尼こと和気広虫も「別部狭虫(わけべのさむし)」に改名させられ流刑となってしまいました。

    なぜ称徳天皇はこんな刑罰を与えたの!?
    称徳天皇が清麻呂姉弟に下した「強制改名の刑」は、単なる嫌がらせではなく、天皇のある「こだわり」によるものでした。

    称徳天皇は清麻呂以外にも、自分に反抗したものを卑しい名前に改めさせたことがありました。名前や言葉には「霊」が宿っているため、大切にしなければならないという「言霊信仰」的な考え方があったからでした。

    称徳天皇によって「強制改名」の刑を受けた人物には、他にも橘奈良麻呂の乱で廃太子とされた道祖王(ふなどおう・麻度比(まどひ)に改名)や、称徳天皇を呪詛した疑いをかけられた不破内親王(ふわないしんのう・厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ/台所の下女という意味)に改名)などがいます。

    これから毎日卑しい名前で呼ばれることになるなんて、生きていく上でもっとも精神的にきつい刑罰ではないでしょうか。

    https://mag.japaaan.com/archives/92068

    【女帝・称徳天皇が和気清麻呂に下した「穢麻呂(きたなまろ)」という汚そうな名前への強制改名の刑罰】の続きを読む

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