Anegawa_battle
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浅井勢の織田軍への突撃、いわゆる「姉川十一段崩し」

― 織田先陣から柴田、羽柴の陣まで突き破って
信長本陣まで浅井軍が迫り、信長ピンチ!
…のところで、すでに朝倉勢を破った徳川軍が
側面から浅井勢に攻め掛かり、
一気に織田・徳川軍の勝利を決めた ―

これ、江戸時代の「浅井三代記」だけに見られる記述らしいw

三代将軍家光にとっては父方祖父の家康&母方祖父の浅井長政。
この双方をスターに祭り上げようとする意図があるのかも…


1 人間七七四年 :2015/07/04(土) 07:37:02.86 ID:IE3tWYjE.net

戦国時代の元亀元年6月28日(1570年7月30日/グレゴリオ暦8月9日)に近江浅井郡姉川河原(現在の滋賀県長浜市野村町付近)で行われた合戦である。
織田信長は徳川家康を味方につけ、一方で浅井長政は朝倉氏との連合軍で応戦し、結果は織田徳川の連合軍が勝利した。
なお「姉川の戦い」という呼称は元々は徳川氏の呼び方であり、布陣した土地名から織田・浅井両氏の間では「野村合戦」、朝倉氏では「三田村合戦」と呼んだ。

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