ひろいあつめ@歴史まとめ

「ひろいあつめ」が「拾い集め」から「広い、厚め」になるよう
そんな歴史まとめサイトをめざしてます。(^_^;)

    姉川の合戦

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    (出典 ibispedia.com)

    姉川の合戦にて
    池田恒興や木下藤吉郎秀吉の備えをぶち抜いて信長本陣まで迫ったと言う

    そんな磯野員昌さんを推したいと思いますw


    1 名無しさん@お腹いっぱい。 :2018/06/17(日) 01:57:18.05 .net

    やたら有名な武将を叩いて、地味な武将を持ち上げる
    そういう通ぶった馬鹿が持ち上げる武将を書いていきましょう

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    Anegawa_battle
    (出典 i.pinimg.com)

    浅井勢の織田軍への突撃、いわゆる「姉川十一段崩し」

    ― 織田先陣から柴田、羽柴の陣まで突き破って
    信長本陣まで浅井軍が迫り、信長ピンチ!
    …のところで、すでに朝倉勢を破った徳川軍が
    側面から浅井勢に攻め掛かり、
    一気に織田・徳川軍の勝利を決めた ―

    これ、江戸時代の「浅井三代記」だけに見られる記述らしいw

    三代将軍家光にとっては父方祖父の家康&母方祖父の浅井長政。
    この双方をスターに祭り上げようとする意図があるのかも…


    1 人間七七四年 :2015/07/04(土) 07:37:02.86 ID:IE3tWYjE.net

    戦国時代の元亀元年6月28日(1570年7月30日/グレゴリオ暦8月9日)に近江浅井郡姉川河原(現在の滋賀県長浜市野村町付近)で行われた合戦である。
    織田信長は徳川家康を味方につけ、一方で浅井長政は朝倉氏との連合軍で応戦し、結果は織田徳川の連合軍が勝利した。
    なお「姉川の戦い」という呼称は元々は徳川氏の呼び方であり、布陣した土地名から織田・浅井両氏の間では「野村合戦」、朝倉氏では「三田村合戦」と呼んだ。

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