(出典 www2u.biglobe.ne.jp)

4万近い秀忠軍が関が原本戦に間に合ってたら、
開戦前から東軍はかなりの数的有利だったよね…

そうしたら内応やら叛応やらの調略もさほど必要なくて、
毛利やら小早川もろとも西軍全てを殲滅させてやろう…

家康がそう考えても不思議じゃないよね。
実際に当初はそれを狙っていたのかも。

関が原の勝利は、あれで家康にとっては満足な勝利じゃなくて、それで
「真田父子は許せん。秀忠のアホめ…」
となったのかもw

ほんと、真田父子はいい仕事したよねぇ


1 人間七七四年 :2016/06/09(木) 15:51:35.58 ID:FnSBieWt.net

第二次上田合戦は、信濃国の上田城と近隣の山城周辺、上田市の東部を南北に流れる神川付近などで行われた真田氏と徳川氏の戦いの総称である。
この戦いにて真田昌幸・幸村親子は徳川秀忠軍に勝利し、足止めすることに成功。
4万近い兵を関ヶ原の戦い本戦に遅参させるという活躍をした。

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