ひろいあつめ@歴史まとめ

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そんな歴史まとめサイトをめざしてます。(^_^;)

    浅井長政

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    (出典 rekishi-ijinden.com)

    滋賀県の旧・東浅井郡が「ひがしあざいぐん」であったこと、
    それがもっとも有力な根拠なのであろうな。

    個人的には「あさい」でも良い、と思う

    え、朝倉も「あざくら」?ww


    1 名無しさん@おーぷん :20/06/25(木)16:23:41 ID:Oka

    あさいやろ?

    【浅井長政←あざいなの?】の続きを読む

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    (出典 www.sengoku-battle-history.net)

    元亀元年(1570)のアレがなかったら… のIFは、
    正直もう考えるの飽きた、というか疲れる

    太閤立志伝Ⅳの浅井長政イベントは楽しそうだけどねw

    http://brightbell.main.jp/kipima/game/taikou4/asai_eve.htm


    1 名無しさん@おーぷん :20/04/30(木)21:10:59 ID:NYW

    本当の律義者だもん

    【浅井長政が裏切ってなかったら徳川政権なかったよね】の続きを読む

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    Anegawa_battle
    (出典 i.pinimg.com)

    浅井勢の織田軍への突撃、いわゆる「姉川十一段崩し」

    ― 織田先陣から柴田、羽柴の陣まで突き破って
    信長本陣まで浅井軍が迫り、信長ピンチ!
    …のところで、すでに朝倉勢を破った徳川軍が
    側面から浅井勢に攻め掛かり、
    一気に織田・徳川軍の勝利を決めた ―

    これ、江戸時代の「浅井三代記」だけに見られる記述らしいw

    三代将軍家光にとっては父方祖父の家康&母方祖父の浅井長政。
    この双方をスターに祭り上げようとする意図があるのかも…


    1 人間七七四年 :2015/07/04(土) 07:37:02.86 ID:IE3tWYjE.net

    戦国時代の元亀元年6月28日(1570年7月30日/グレゴリオ暦8月9日)に近江浅井郡姉川河原(現在の滋賀県長浜市野村町付近)で行われた合戦である。
    織田信長は徳川家康を味方につけ、一方で浅井長政は朝倉氏との連合軍で応戦し、結果は織田徳川の連合軍が勝利した。
    なお「姉川の戦い」という呼称は元々は徳川氏の呼び方であり、布陣した土地名から織田・浅井両氏の間では「野村合戦」、朝倉氏では「三田村合戦」と呼んだ。

    【姉川合戦の真実】の続きを読む

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    (出典 nanacollect.com)

    これは… いろんな想像ができるIFだね。

    率先して朝倉討伐に参加して、その旧領を任されたとしたら
    武田に対する徳川のように、対上杉は柴田勝家じゃなくて長政が務めるのだろうか…

    史実どおり朝倉旧領を勝家が任されたとしたら
    長浜を得た秀吉と同じコースをたどって、いずれは毛利征伐指揮官?

    金ヶ崎の手柄がないから、秀吉あまり出世しないかもなw
    ひょっとしたら史実の秀吉そのままに長政が中国大返しして天下人になっちゃったりして…w


    1 名無しさん@おーぷん :2018/06/14(木)19:45:22 ID:Dff

    市を嫁にしている以上、反明智は確定してるうえに、
    完全な信長の配下ではないから、加賀が平定されたといって、柴田みたいに上杉に喧嘩売りに行く必要はない
    琵琶湖周りは浅井の領地になってて、本能寺の変で一番に駆けつけられるわけやし、浅井が天下とってた可能性十分あるん違う?

    【でも、もし浅井長政が信長を裏切らなかったら】の続きを読む

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