ひろいあつめ@歴史まとめ

「ひろいあつめ」が「拾い集め」から「広い、厚め」になるよう
そんな歴史まとめサイトをめざしてます。(^_^;)

    評価

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    (出典 pbs.twimg.com)

    大河ドラマの影響で、
    晩年はけっこう物騒なおっさんとゆうイメージだけど、
    若い時も峻烈で、
    三浦泰村以下その一族500名をことごとく討滅していたりする。

    その一方で、
    能「鉢木」で御家人たちに気を掛ける人物と描かれていたり、
    鎌倉執権きっての善政・宥和政策のエピソードも多い。

    このヒトの時に、鎌倉幕府がもっとも安定していたという評価らしいが、
    NHK「北条時宗」見てる限り、あれで一番安定してたんなら
    鎌倉幕府ってずっと内部抗争に明け暮れてたんだな…w

    鉢木(はちのき)は、能の一曲。観阿弥・世阿弥作ともいわれるが不詳。 増鏡や太平記に記された、北条時頼が執権を退いた晩年に諸国を遊行した伝説から派生した筋書きだが、原典にはこの話の記述はない。早くから人形浄瑠璃や義太夫に翻案され、元禄時代には近松門左衛門が題材にして「最明寺殿百人上﨟」を書き、享保期に
    3キロバイト (468 語) - 2017年7月20日 (木) 22:42


    1 日本@名無史さん :2018/06/17(日) 21:10:05.16 .net

    鎌倉北条支配の黄金時代を築いたのは北条時頼である。

    【鎌倉幕府第5代執権 北条時頼】の続きを読む

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    (出典 bushoojapan.com)

    四国の雄・長曽我部元親の四男

    司馬遼太郎 著の「戦雲の夢」では、
    人間味にあふれる武芸達者な好男子にして
    時の運に恵まれなかった人物として描かれていたけど…

    実態は不明であるが、
    司馬氏になぜか愛されたヒトであることだけは確かw

    長宗我部 盛親(ちょうそかべ もりちか)は、安土桃山時代から江戸時代前期の土佐国の大名・武将。長宗我部氏第22代当主。長宗我部元親の四男。戦国大名としての長宗我部氏の最後の当主。 父・元親の死後に長宗我部家の家督を継ぐ。関ヶ原の戦いで西軍に属すが、敗色濃厚と見て戦わず帰国し、徳川氏に謝意を表した。
    20キロバイト (2,684 語) - 2018年8月20日 (月) 11:57


    1 日本@名無史さん :2006/03/11(土) 19:59:35

    大坂の陣で豊臣方として奮戦するも、敗北し捕らえられ引き回しのうえ斬首。
    息子5人全員も皆殺しにされた悲劇の武将・長曽我部盛親について語ろう。

    【■ 長曽我部盛親について語るスレ ■】の続きを読む

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    (出典 pbs.twimg.com)

    織田信雄とか足利義昭とか、コケたにもかかわらず
    なんとか天寿を全うできた人が、
    後世、槍玉に挙がってる感があるなぁ…

    その点、朝倉義景公はお気の毒w


    1 名無しさん :2014/03/29(土)11:37:39 ID:???

    今川氏真?

    【戦国時代一番のバカ殿は誰?】の続きを読む

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