ま、それはともかく
勝頼、得意の絶頂!
義昭&顕如、ウハウハ
謙信、鼻から牛乳…じゃなくて、酒噴き出す
氏政、汁かけ飯のお椀ひっくり返す
天下? 知らんっw
戦国乱世に逆戻りじゃあ(泣)
勝頼、得意の絶頂!
義昭&顕如、ウハウハ
謙信、鼻から牛乳…じゃなくて、酒噴き出す
氏政、汁かけ飯のお椀ひっくり返す
天下? 知らんっw
戦国乱世に逆戻りじゃあ(泣)
【信長と家康が長篠で討死してたら誰が天下取ってた?】の続きを読む
時は天正3年5月20日(設楽原決戦の前日)
転生したら武田勝頼になっていた
この条件で、どうやったら武田家を存続できるか考えよう!
なんやねんこいつまじめにやれや
(出典 i.imgur.com)
(出典 i.imgur.com)
もし長篠合戦時に軍神上杉謙信が武田勝頼の援軍として、設楽原に来てたらどんな結果になっただろうか
1575年6月29日(天正3年5月21日)三河国長篠(愛知県新城(しんしろ)市)において行われた、織田信長・徳川家康連合軍3万8千と武田勝頼軍1万5千との合戦。
武田方の戦死者は山県昌景、土屋昌次、馬場信房などの信玄以来の宿将をはじめとして1万人に上ったといわれる。
これ以後武田氏の勢力は急速に衰え、1582年(天正10年)滅亡を招いた。
この戦いにおいて、織田・徳川連合軍が新兵器の鉄炮を組織的に使用し、騎馬戦を得意とする武田軍に圧勝した点が注目され、従来の騎馬中心の個人戦から足軽の鉄炮隊を中心とする集団戦法へ移行する画期的戦闘と評価されている。