ひろいあつめ@歴史まとめ

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    長篠・設楽原合戦

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    (出典 ya-hon.com)

    この合戦当時の各勢力の相関関係は、
    言わずと知れたように、徳川と織田は同盟。
    そして徳川 vs. 武田で、武田は北条と同盟。
    そんでもって北条 vs. 上杉であり、
    上杉・武田間はもちろん緊張関係継続。
    上杉と徳川は対武田を意識して利害一致中…

    だから本来、
    上杉が武田の援軍をする余地など、ないw

    ところが、謙信公ご自身は、
    信長の足利将軍追放・朝廷への蘭奢待強請を知り、
    織田からは心が離れていたそうで…

    そこで仮説を、武田軍の長篠城攻撃前に
    武田と上杉が、対織田信長を意識した秘密和議を成立させていれば…
    と置き換えて考えてみよう。
    むろん、それぞれ徳川、北条にはナイショw

    でも、謙信公ご出馬はもちろん、上杉援軍も難しいだろうなー
    なんせナイショだからw

    ただ、上杉の押さえとして、
    川中島海津城に詰めていた高坂弾正が、
    配下の大部分を率いて長篠合戦に馳せ参じることはできそう。
    そうすると武田軍の大幅戦力増になるわけで…

    って、それでも織田徳川連合軍は兵数では圧倒的であるな (@_@;)

    結果変わらず、
    武田軍の討死武将が一人増えただけかもww


    1 人間七七四年 :2018/09/10(月) 12:38:33.45 ID:H/VUbQK9.net

    もし長篠合戦時に軍神上杉謙信が武田勝頼の援軍として、設楽原に来てたらどんな結果になっただろうか

    【長篠合戦に上杉謙信が援軍に来てたら・・・】の続きを読む

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    (出典 now-kininaru.up.seesaa.net)

    浅井朝倉・長島一向宗滅亡による、第一次信長包囲網の崩壊…
    その状況を打破するには、直接対決で乾坤一擲の大勝利が必要…

    そのへんが、武田勝頼の決断を後押しした要因かな。


    1 人間七七四年 :2016/11/12(土) 21:14:34.87 ID:F2oYAzgO.net

    1575年6月29日(天正3年5月21日)三河国長篠(愛知県新城(しんしろ)市)において行われた、織田信長・徳川家康連合軍3万8千と武田勝頼軍1万5千との合戦。
    武田方の戦死者は山県昌景、土屋昌次、馬場信房などの信玄以来の宿将をはじめとして1万人に上ったといわれる。
    これ以後武田氏の勢力は急速に衰え、1582年(天正10年)滅亡を招いた。
    この戦いにおいて、織田・徳川連合軍が新兵器の鉄炮を組織的に使用し、騎馬戦を得意とする武田軍に圧勝した点が注目され、従来の騎馬中心の個人戦から足軽の鉄炮隊を中心とする集団戦法へ移行する画期的戦闘と評価されている。

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