ひろいあつめ@歴史まとめ

「ひろいあつめ」が「拾い集め」から「広い、厚め」になるよう
そんな歴史まとめサイトをめざしてます。(^_^;)

    IF

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    (出典 image01.seesaawiki.jp)

    1812年ロシア戦役のことだね。
    ロシアに勝つ、ならアウステルリッツでも大勝しておるしw

    ロシアが敗れて講和を請えば、1809年のオーストリアと同じ。
    以後、大陸封鎖令は順守され、もうしばらくナポレオンの絶頂は続くでしょう。

    モスクワ陥落に加え、ロシア軍主力を捕捉・撃滅したとしても
    もし講和が成らなければ、それはもうスペインと同じ泥沼状態。
    ただ、ロマノフ王朝は100年早く、この時に終わってたかも知れん…


    1 名無しさん@おーぷん :19/09/11(水)01:37:25 ID:dIs

    どうなってたんや?

    【ナポレオンがロシアに勝っていたら】の続きを読む

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    (出典 pbs.twimg.com)

    それはいくらなんでもねぇ…

    戦力・兵站・情報能力全てで相当…(略)


    1 名無しさん@おーぷん :19/10/05(土)21:30:00 ID:bic

    バトルフィールドは日本の山岳地帯とヨーロッパの平地を
    足したような場所。
    武器は各軍の当時のもので戦い、敵の武器を鹵獲して
    使うことはしないこととする。

    また、武将の強さは大坂冬の陣、ナポレオン軍は
    ロシア遠征時の強さとする。

    【戦国武将とフランスのナポレオン軍が戦ったらどちらが勝つか】の続きを読む

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    (出典 s-yoshida7.my.coocan.jp)

    宇治・瀬田の会戦で朝廷軍を壊滅させ、十数万の軍兵で京都に乱入した幕府軍。

    内裏(皇居)への総攻撃は当然差し控えたのだろうが、
    一部の軍勢が暴走しただけでもあっけなく御所炎上、後鳥羽院以下ことごとく…
    の可能性はあったと思う。

    それほどの大軍の都での行動を制御しえた北条泰時の統率力は驚嘆に値するな…

    承久の乱(じょうきゅうらん)は、鎌倉時代承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権北条義時に対して討伐兵を挙げて敗れた兵乱。承久の変、承久合戦ともいう。 日本史上初朝廷と武家政権間で起きた武力による争いであり、朝廷側敗北で後鳥羽上皇は隠岐に配流され、以後、鎌倉幕府では北条氏に
    39キロバイト (6,544 語) - 2019年6月15日 (土) 04:51


    1 日本@名無史さん :2015/08/10(月) 11:31:54.96 .net

    御家人は、従っただろうし、義時の権威を頼朝を完全に超えたのではないだろうか?

    【北条家が承久の乱で朝廷を滅ぼしたら】の続きを読む

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    (出典 image.space.rakuten.co.jp)

    日本海軍はそもそも潜水艦の運用方針を根本から改めないとムリ。
    攻撃型原潜でも開発したら別だけどw

    ドイツ海軍は多少旧型でも300隻揃えてから開戦していれば
    だいぶ違っていたと言われてますな…


    1 名無しさん@涙目です。 :2019/03/25(月) 12:12:27.63 ID:VFY/6kRo0.net BE:446172865-2BP(2000)


    太平洋戦争の中盤以降、アメリカ軍の対潜水艦能力が向上し、日本の潜水艦の損害が増えていきます。そこで1943(昭和18)年に、日本海軍は水中速力25ノットという潜水艦「潜高型」を構想します。これが実現できれば、敵からも上手く逃げおおせられるはずです。

    こうして期待の高速潜水艦、潜高型は1945(昭和20)年6月までに、伊二百一、伊二百二、伊二百三の3隻が完成し、早速、訓練が開始されました。
    ところが、水中での20ノット近い速度は不安定で、操艦は難しかったようです。また積み重ねて配置された2000個以上もある電池は、温度差が生じ性能は不安定、
    メンテナンスに莫大な手間が掛かる、80回しか再充電できない(一般的な一号十四型蓄電池なら400回)と問題山積で、さらにショートしやすい危険な代物であり、伊二百二はバッテリー火災事故も起こしています。
    エンジンは馬力不足で、充電能力も不十分、そして実際の水中速度は17ノット程度だったといわれます。結局、期待の高速潜水艦も訓練と故障修理、不具合個所の対策改造を繰り返しているあいだに終戦となりました。

    終戦後、アメリカ海軍は日本の潜水艦技術に高い関心を示し、この高速潜水艦伊二百一と伊二百二をハワイに運んで調査しましたが、その高速性能と非常に危険な構造に驚きます。
    https://trafficnews.jp/post/84620

    UボートXXI型
    大西洋の戦いでは、進歩を続ける連合国の対潜部隊に対し、ドイツ潜水艦隊の主力だったVII型やIX型 などの従来型潜水艦は、性能的に不利な状況に追い込まれていた。
    この状況を見た海軍総司令官カール・デーニッツはそれまでのVII型、IX型を主力とした潜水艦の建造計画を大きく変更し、全力で水中高速型潜水艦を建造することとした。
    多数の蓄電池と新たに開発されたモーターの組み合わせにより、本型の最大水中速力は当時の潜水艦としては桁外れの17.5ノットに達した。

    水中行動を主とするこの型の設計思想は、アメリカ海軍のアルバコアやソ連海軍のズールー型潜水艦など、戦後多くの国の潜水艦の設計に影響を与えた。
    また、戦後に接収した本型を使用して行われた対潜訓練では、当時最も優れているといわれたアメリカ・イギリス海軍の対潜部隊を持ってしても本型を探知できなかったという逸話が残っている。
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/U%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%88XXI%E5%9E%8B

    【日本海軍が潜高型潜水艦、ドイツ海軍がUボートXXI型を最初から量産してたら勝てた?】の続きを読む

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    (出典 lifehack-analyzer.com)

    徳川幕府あきらめますか?
    それとも近代日本、あきらめますか?

    まあ…
    オスマン帝国のように封建体制のまま、
    激動の世界情勢に一回揉まれていたら…

    また違った日本近代史があったかもねw


    1 日本@名無史さん :2019/08/04(日) 06:53:39.36 .net

    徳川慶喜および勝海舟が薩長との交渉を拒否して江戸城を明け渡すことなく
    当初の予定通り幕府側が総力戦の焦土戦術を実行してたら、さしもの新政府軍も西日本まで後退してただろ。

    そして日本は西日本の薩長政府と東日本の徳川幕府で東西二分化されてた可能性が高い。

    【もし勝海舟が焦土戦術を実行してたら徳川幕府は?】の続きを読む

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